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リル・ハイ、リル・ホー!(『スチュアート・リトル2』のリトル家の挨拶より) ってなワケで、前回は『アイ・アム・サム』をネタに「食わず嫌い克服」と「異種間の共存の可能性」なんて話をしたんだけど、今回はまず、その後者「異種間の共存」を地でいってる『スチュアート・リトル2』の話を軽〜くやってみようと思う。で、実は『MIB2』『SW2クローンの攻撃』も要はそういう話なんだよな。




『スチュアート・リトル2』は、文句無しに愉しめるファミリー向け映画である。これ、僕は前作が大好きだったのだ。どのくらい好きかって言うと……ええい面倒なので、その公開当時に書いたのを再録するって荒ワザで、思い出してみることにする。
『スチュアート・リトル2』
監督:ロブ・ミンコフ/脚本:ブルース・ジョエル・ルビン/出演:ジーナ・デイビス、ヒュー・ローリー、ジョナサン・リップニッキー、マイケル・J・フォックス(声)、メラニー・グリフィス(声)ほか
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『スチュワート・リトル』
2000年7月15日〜日比谷映画ほか全国東宝洋画系

監督:ロブ・ミンコフ/原作:E・B・ホワイト/脚色:M・ナイト・シャマラン/声の出演:マイケル・J・フォックス/出演:ジーナ・デイビス、ヒュー・ローリー、ジョナサン・リップニッキー他 (99年・アメリカ/1時間24分/配給:ソニー・ピクチャーズ)

舞台はNY市。「弟をお願いね!」とはしゃぐ息子ジョージ(J・リップニッキー)の期待に応えて、パパ(H・ローリー)とママ(G・デイビス)は養護施設に向かう。たくさんの孤児達を見て「とても選べない」とクラクラするシーンは、『サイダーハウス・ルール』の孤児院の場面にダブって、僕はちょっとウルウルする。と、ふたりの間、下の方から、それぞれの子ども達の長所を解説する声が----なんと小さな白いネズミ君だ。「僕はずいぶん長い間ここにいるので詳しいのです」と、紳士的に友人達(もちろん人間の孤児達)を紹介しようとする彼に、とても好感触を持つふたり。で、「人間でない子はいろいろと問題が……」と難色を示す施設長ミセス・キーパーの難色もなんのその、服を着たネズミ君スチュアート(声:M・J・フォックス)は、みんなに見送られて施設を出て、高層ビルの間の小さな2階建ての古びた邸宅、リトル家の養子になったのだった。最初は「ネズミなんて弟じゃない」って言ってたジョージも次第に仲良くなり、親戚達もとまどいつつも歓迎してくれた。第92回セントラルパーク・ヨットレースでは、いじめっ子アントンもなんのその、ジョージと一緒に作った模型ヨットで予期せぬ活躍をすることになる----ってな感じで、家族の暖かみを満喫するスチュアート。だがリトル家のペット、猫のスノーベル(オス)だけが不満顔。「なんで俺がネズミのペットなんだよ」。野良猫達と相談して、ちょっとした陰謀を企てるのであった……。E・B・ホワイト作、ガース・ウィリアムス挿画の児童書(1945)を、最新SFX技術でリアルにカワイく映画化しちゃったファミリー映画。早くも続編製作が決定されたという。お洒落な服を着た喋るネズミが、猫にいじめられたり、洗濯機で溺れそうになったり、ミニカーを運転したりと大活躍。またスノーベルや街の野良猫たち(本物!)の絶妙な演技も見ものである。『テルマ&ルイーズ』『ロング・キス・グッドナイト』のジーナ・デイビスが、ちゃんと優しいお母さんに見えるってのも面白い。いい人だらけで「異種間家族」を普通に描く感覚や、うるさくない美術やキャストなどは、『ベイブ都会へ行く』とかジュネ&キャロ映画からダークな感触を拭い去り、でも微かに匂うようにした感じで、ちょっと興味深い。その独特のフワフワした展開、ヤマ場が前倒しになってたり、エモーションの持っていき方が少しだけ異色なのも、脚色が『シックス・センス』のM・ナイト・シャマランだからなのかもね。できれば大人にも楽しんで欲しい逸品だ。

ってな具合。そうそう、前作は『シックス・センス』『アンブレイカブル』、そしてこの秋話題の『サイン』のM.ナイト・シャマラン監督が脚色参加してたのだ。思い出してきた。ネズミが服着てしゃべる、まわりの人間はそれを当たり前のように受け入れてる----そんな世界観が僕は個人的に超気に入ったのだ。いやホントに「ちょっと身体のサイズ的に不利なヒト」くらいの扱いで、でも何故か猫の方はペットか野良でしかなく、もちろん人間とも言葉は通じないままってなナンセンスさが笑えるんだけど、原作のファンタジー絵本の世界ではアリかもって設定を、実写映画でシレッとまんまリアル化してみせた“根性”が気に入ってしまったのである。これはブルース・ジョエル・ルービン(『ゴースト/ニューヨークの幻』『ジェコブズ・ラダー』『ディープ・インパクト』など)脚本となった続編にもすんなり踏襲されていて、映画冒頭でいきなり人間に混じってネズミのスチュアートがサッカーしてるし、さらに新キャラの小鳥とも平気で喋ったりするのだ。でも猫のスノーベルの言葉はスチュアートにはわかっても人間には通じないというのは相変わらず、という律儀な設定がおかしい。このヘンテコ感について、映画はなんにも説明せずにスイスイと進行していくから余計にシャレてる感じがするのだ。何と言えばいいのか、このビミョーな感覚って……。

例えばスターログ13(2002年夏)号では佐野晶センセイに「ちょっとしたホラー設定」だとか「ちょっと不気味」とか「怪談じみてる?」なんてシニカルに評されていたり(あ、この評でファルコンの声をクリストファー・ウォーケンって書いてるのは間違いでDATA欄にあるジェームズ・ウッズの方が正解)、プレミア9月号ではスチュアートや小鳥のマーガロが人間と喋ってて、猫のスノーベルの言葉は通じないってのを「前作同様の矛盾点」としつつ「まあ、これは『そういう世界』なのだ、ということで許そう」なんて新田隆男センセイに書かれたりしてしまうワケで、この不思議感覚を巧く肯定的に表現するのは難しい。というかナンセンスながら筋が通ってるようにも思えるのが厄介なのだ。こうなりゃ極端に「動物も人間もみな平等」って世界観からなるファンタジーを想定して、比較すればいいのかもしれない。スノーベルも、野良猫のモンティ達も、鷹のファルコンでさえ人間と話ができる、全動物が「知性化」=擬人化されたNYを想像しよう。するとスノーベルはリトル家のもう一人の養子となり、服を着て後ろ足で立ち上がることになる。で、ママさんに「スノーベルなんて女みたいな名前つけやがって」と文句を言ったり、ジョージやスチュアートと口喧嘩したり、学校でイジメられたりスネたりしている(前作よりキャラがひ弱になってるので、こう考えちゃった)……彼の野良猫友達は、街を彷徨う浮浪者=ホームレスみたいにボロを着てゴミを拾い、前作のセントラル・パークを根城とした不良集団もいたりする。鷹のファルコンはスクワッター=不法占拠した屋上で悪事を練って、口先三寸で人間達をも騙していたりするかもしれない。NY名物の馬も警官をオンブしながらブツブツ「相棒よ、排ガスだらけの都会は辛いぜ」とか愚痴言って、まずいコーヒー飲んだりしてるとか。……うーむ、こうやって世界観設定の辻褄を合わせ過ぎると、なんか普通のSFみたいだ。まるでエイリアンが共存する『メン・イン・ブラック2』? そういやパグ犬がスーツ着て喋ってたしなぁ。

というワケで強引な思考実験の結果、もし猫のスノーベルもスチュアート同様の立場だったら、と考えると、それはSFになってしまうことが判明した。いろんな姿形のエイリアンがアメリカ移民と同じような扱いをされる『MIB2』も、もっと様々な異星人種達が配合されてサラダボウルと化した銀河が舞台の『スター・ウォーズ エピソード2:クローンの攻撃』も、実は「異種間共存」の好サンプル、多民族国家アメリカが理想とする世界観でできているのだ(もっとも『エピソード4』に当たる第一作に黒人が出てないようなのは、この理想がまだ若くもあることを示しているのかもしれない)。で、ひるがえって『スチュアート・リトル2』を考えると、この映画はある局面では「異種間共存」をほとんど当たり前のようにさりげなく描きながら、別の局面で「矛盾」とも言われる「猫はペットか野良のまま」ってナンセンスな設定をもって、図らずも「本当の異種間共存って何だろう?」とギワクを投げかけることになる。もちろん映画自体はスムーズに展開していくので、その違和感はシャレめいたヘンテコな感触を微かに残すだけなんだけれど、この「徹底した階級差」の存在こそ、現実の人間社会の隠された差別、拭いがたい差異とういうものの「矛盾」した存在の仕方を揶揄してるともとれるのである。……なんて深読みしてみたりして。


『アイ・アム・サム』と2つの絵本とビートルズ、そしてメタ映画

『スチュアート・リトル2』の、よくできた「矛盾」について

傑作『ドニー・ダーコ』を語る前に、『タイムマシン』の迷路を彷徨う。

「死者」へのレクイエム――『ドニー・ダーコ』私論