『イン・ザ・カット』
2004年4月3日より丸の内ピカデリー2他松竹・東急系にて全国ロードショー

監督:ジェーン・カンピオン
製作:ニコール・キッドマン
主演:メグ・ライアン

公式サイト

ジェーン・カンピオンは人間、わけても女性の内面を直視して、そこに容赦なくスポットを当てるタイプの監督だ。メグ・ライアンは今さら説明など不要な、ロマンチック・コメディのヒロイン。『恋人たちの予感』(89年)が大ヒットして以後、今日までこのジャンルの主役を独占してきた。『イン・ザ・カット』は、いかにもタイプの違う監督と女優の二人。彼女たちのケミストリーが鍵を握っている。果たして…。見る前の気持ちを正直に白状するとこうなる。

さてメグ・ライアンが演じるヒロインのフラニーはニューヨークの大学で文学の講師をしている。おそらくはそのせいだろう。自分と世間を繋いでいるのは[言葉]であると信じていて、人との関係には適度の距離を保っている。唯一、心からうち解けられるのは異母妹ポーリーン(ジェニファー・ジェイソン・リー)。彼女はフラニーとは対照的に感情的だ。とはいえ、言葉を信奉する論理的なフラニーにしろ、感情豊かなポーリーンにしろ、いずれも人間関係には器用ではない。

そんなフラニーは近所で起った猟奇殺人事件を偶然ながら目撃したことがきっかけになって、変化するというのがドラマの骨子である。フラニーが捜査を担当する刑事(マーク・ラファロ)と、言葉を信奉している身にはまったく考えられなかった肉体的、かつ感情的な経験をして、スブズブとアブナイ関係の深みに踏み込んでいくというのがストーリーのあらまし。猟奇殺人事件の捜査と並行して、都会の女の深層が明らかになる。

器用でない女性が何かのきっかけで変わる場合、極端に走るケースが少なくない。まさに今回のフラニーはその典型かもしれない。そして彼女を自立した都会の女性の一般的な姿とすることはできないが、多くの女性たちは少なくとも解決が困難な渾沌の中で生きていることは事実。仕事に恋に結婚に限らず、夫との関係や子育て等々、やっかいごとが山積している。フラニーのように[言葉]によって解決してきた理論派の知的女性にも、[言葉=理論]ではどうにもならない事と向き合い、溜め息をつきながら半分諦めの心境に到達することで、日々をやり過ごしているのが実情ではないだろうか。

ジェーン・カンピオンの特徴は、出世作の『ピアノ・レッスン』で写真結婚した女性の心情や、『ある貴婦人の肖像』ではヨーロッパを訪れたアメリカ女性の男性観(結婚観)に顕れているような、独特の視点とスタイリッシュな手法である。今回は都会の渾沌と猟奇殺人事件を組みあわせたミステリー仕立てで、殻を破る女性の心情をあぶり出して見せた。この監督のユニークさとメグ・ライアンの新境地が同時に見られるというわけである。
ここがポイント
これを現代の、それも都会のラブストーリーとするのあまりに寒々しい。けれどそうではあってもヒロインのフラニーが直面したことは、都会で今を生きている女性なら多かれ少なかれ経験したことがあると思われる。これがポイントだ。

まず現在は[言葉]が人間関係の鍵を握っている。もちろんこれには功罪の両面があることを前提にしてだが…。例えば携帯電話で頻繁に話している間柄の、会話の量と人間関係の質の関係。あるいは仕事の用件はEメールですべて事が足りるという合理性と、同僚や上司との意志疎通の上手い下手の問題。等々、こうして自分と周囲の関係を見回せば、言葉に日常生活を握られている。そしてこれはある面では快適ではある。

けれど自身の内面と向きあってみると、快適とばかりは言えない。ひらたく言えば、友達とは会っておしゃべりした方が楽しいし、仕事だって上手く行っていると思っていてもどこかで不安だったりして…。フラニーの場合は安全だけれど、安定した退屈を重荷に感じている。そんな折りに事件の目撃者になったことによって、刺激的な日々に引き込まれる。私たちは殺人事件には遭遇したくないし、目撃者になんかになりたくはないが、ハイテクIT技術がもたらした恩恵のひとつである[言葉]の世界の楽しさには飽きがきはじめている。言葉では解決できない性的な問題等々、それまでには経験しなかった世界に身を置いたフラニーを身ながら、そんなことを考えた次第。手法の好き嫌いはあるにしても、ジェーン・カンピオンの着眼点はあなどれない。
メグ・ライアン
1961年11月19日、コネチカット州生まれ。映画デビューはNYU在学中の『ベストフレンズ』(81年)でのキャンディス・バーゲンの娘役。コネチカット大学を経て、NYUに通うが学費を工面するためにCMに出演していた。『恋人たちの予感』(89年)『めぐり逢えたら』(93年)でゴールデン・グローブ賞主演女優賞ノミネート。これらの作品で評価され、またキュートで親しみやすい容姿も手伝って、以後ロマンチック・コメディのヒロインを独占。『男が女を愛する時』(94年)、『フレンチ・キス』(95年)、『ベルリン天使の詩』をリメイクした『シティ・オブ・エンジェル』(98年)、『ニューヨークの恋人』(02年)等がそれらである。この間、ロマンチック・コメディの女王からの脱皮を計ってか、湾岸戦争を題材にした『戦火の勇気』(96年)、ラッセル・クロウと共演した『プルーフ・オブ・ライフ』(00年)に出演するも、失敗に終っている。よって『イン・ザ・カット』(03年)は三度目の正直になるか? それとも二度あることは三度あるに終るか? いずれにせよ正念場であるる私生活では『D.O.A』で共演したデニス・クエイドと結婚、92年に長男ジャック誕生が破局。製作会社プルーフロック・ピクチャーズの代表をつとめている。次回作はチャールズ・ダットン監督『Against the Ropes』。

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