『ハンニバル HANNIBAL』
この春最大の話題作、『ハンニバル』が、ついに登場した。------前作から10年。91年度アカデミー賞主要5部門を総なめしたサイコ・ミステリの傑作『羊たちの沈黙』の続編である。昨年原作小説が翻訳され(新潮文庫)、すでに大ベストセラーになっているが、映画はまたひと味違う魅力で迫る。なにせ結末が違うのだ。原作についても賛否両論、侃々諤々の評が溢れていたけれど、映画もまたそれに勝るとも劣らない。つまりは「語りがい」のある作品ってことなのだろう、最早これはひとつの“イベント”なのである。 例えばブルータス4/15号の特集タイトルは「君はハンニバルを見たか!?」だし、日経エンタテインメント!5月号も、とってもわかりやすい特集を組んでいる。映画専門誌系はユルい特集が多いから、まあこの2冊を読んどきゃ充分。原作本の版元の新潮社も、えらく気合いの入ったムック本『ハンニバル・レクターのすべて』を出している。いちおうシナリオも収録され、識者32人による「原作の結末についての○×コメント」もある(どうせなら映画の○×も欲しかったかも)。まあ半分イタリア・ガイド本って感じなので、興味がある人はゲットすればいいかも。今年2001年は「日本におけるイタリア年」でもあるので、タイアップめいているのはしかたないか……。 では、ストーリーをちょっぴり紹介しよう。タイトル通り、今回の主役はご存じハンニバル・レクター博士(アンソニー・ホプキンス)。囚人服から解放された彼は、粋なスーツを身に纏い、アメリカナイズされたスノッブさで“憧れのイタリア”ライフを満喫しているようだ。だが少し飽きても来ているらしい。イタリアっ子なら誰でも知ってるレヴェルの論文で、フィレンツェの図書館司書に就任しようとしているってのも、まあ退屈しのぎの子供じみたゲームなのだろう。サイコ犯罪者の偏った趣味など理解の埒外ってのが正しい観客の態度だと言える。折しもフィレンツェを騒がす連続殺人鬼“イル・モストロ”事件の捜査中だった刑事リナルド・パッツィ(ジャンカルロ・ジャンニーニ)が彼に接触。大人しく暮らしていたレクター博士は、ゲームの局面が変化しつつあることを知る……。あ、このパッツィ刑事が岡田真澄に見えて仕方なかったんだけど、なかなか印象的なキャラであった。ってのは余談。 一方のクラリス(ジュリアン・ムーア)は、かつて囚人だったレクター博士の助力で、連続猟奇殺人犯バッファロー・ビルを逮捕するという手柄を立てたにも関わらず、10年後の今は、どうにも冴えない日々のようである。FBIのベテラン捜査官でありながら、周囲の“男社会”のやっかみや嫉妬や下らないメンツに晒されて、健気に孤軍奮闘するしかない。指揮下のクソ野郎の失態を契機に、窮地に追いつめられることになるのが、今回の物語の発端。同じ頃、かつてのハンニバルの凶行の犠牲者にして唯一の生き残り、大富豪メイスン・ヴァージャー(ゲイリー・オールドマン)が、復讐ゲームの駒として、彼女を利用しようとしていた……。 物語は、レクター博士を追わねばならなくなったクラリスの捜査と、イタリア・フィレンツェでのレクターの活躍(?)、そして彼をつけ狙う大富豪メイスン一派のドタバタ(?)と、その下働きをしつつクラリスに秘かに欲情している司法省幹部ポール・クレンドラー(レイ・リオッタ)の愚劣さ、なんてのを描いてゆく。ちなみに“ハンニバル・レクター”が伝説的なサイコ犯罪者として超有名であり、彼の触れたものならなんでも収集するマニアまでいるってなセルフ・パロディ(オマージュ)じみた大前提があるので、映画冒頭の描写で鼻白んでしまうともう愉しめないかもしれない。ひたすらファン心理で没入するべし、ってとこか。あの『スター・ウォーズ エピソード1』同様の「イベント映画」として、設定やディテールにこだわって鑑賞するのが、“通”の観方と言えるだろう。 いくつかある鑑賞ポイントのうち、ひとつだけ語っておく。クラリスという高潔な(ある種潔癖な)女性エリートが、絶えず「ホワイト・トラッシュ(白人低所得層)」に転がり落ちる不安を感じながら生きていくしかないってな背景設定を頭に入れておくと、映画では語りきれていない葛藤をよりビビッドに味わえるかもってこと。ハンニバル・レクターは“そこ”をつくのだが、これが恋愛なのか洗脳なのか、いや洗脳こそ恋愛の本質なのかって考えると面白い議論になりそうだ。映画だけから読みとると、どうにも律儀すぎる(ウブ過ぎ? 論理的過ぎ?)って意見もありそうだし。レクターはクラリスを本当はどうしたいのか? 愛ゆえに食べちゃうってな実際の事件もあるわけで、彼の彼なりの正義感と愛情のせめぎ合う精神構造を厳密に推測するのも一興かも。 なお監督は『グラディエーター』で今年のアカデミー賞5部門(作品賞、主演男優賞、視覚効果賞、衣裳デザイン賞、音響賞)を受賞したリドリー・スコット。古い映画ファンなら『ブレードランナー』のカルト監督として記憶される(ブラピのデビュー作『テルマ&ルイーズ』も彼の監督作だったなあ)彼の、独特の映像美も堪能できる。 ●「肉食する我々はみなカニバル(人喰い人種)だ!」と、レヴィ=ストロースは言った。 この春にイタリアとフランスに旅行してきた友人が、とにかく食べ物が不味かったと嘆いていた。どうも「狂牛病」絡みで牛肉や乳製品はレストランでも出せないようになったとかで、メニューが著しく制限されていたらしいのだ。いまだ根本的な原因が分からないという狂牛病は、畜牛産業に大打撃を与えているようで、特にヨーロッパはかなり深刻なようである。そういやフランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースがイタリアの大手新聞『ラ・レパブリカ』紙に書いたふたつのエッセー「われわれはみな食人種だ」(93年10/10-11)、「狂牛病の教訓------人類が抱える肉食という病理」(96年11/24)ってのが、つい最近、中央公論2001年4月号に訳載されていたっけ。見出しはショッキングだが、つまり肉食って文化は、かつての「人肉食」習俗と構造的に一緒だというのが彼の説なのだ。じゃあ焼き肉が大好きな僕はすでに「カニバリズム」のヒトってことか? で、レヴィ=ストロースが言うには、狂牛病の原因のひとつと目されている、牛の飼料に混入された牛の骨粉ってのが、牛に「共食い」を強要した人類への警鐘だとかいう物騒な話につながって、おフランスのパリでも昔(16世紀)はカタコンブ(地下墓地)の人骨砕いてパンに混ぜて食べてたとか、20世紀初頭のニューギニアのクル病や、ヨーロッパで死産児の脳の抽出物を発育不良の薬にしてたなんて話とかを絡めて自説を補強。んで、もはや肉食は神聖なカニバリズム的儀式のみに制限して、食習慣をベジタリアンに変えるべき、っていうか将来はそうなるという予言までしている。ま、そのお手本が日本やインドってのが、今世紀最大の人類学者にしては笑かしてくれるのだけども、元のエッセイが書かれた時はイギリス周辺のみの事態だったのが、5年後の現在、ヨーロッパ全土で狂牛病(および口蹄疫)が怖がられていることからすると、他人事のように笑っていられないかもしれない。畜産大国アメリカに被害が出ていないようなのも、ちょっと妙な気がするしなぁ……。 さて、無礼な人間を喰ってしまうカニバルな連続猟奇殺人者“ハンニバル・レクター”の、こういう時節での再登場ってのは、あまりに出来過ぎてて、ちょっと面白い。彼は「誰もがカニバルだ」というレヴィ=ストロースのテーゼを立証しに現れたのか? あのクライマックスの豪華ディナー・シーンを観て、ついうっかり「美味しいのかも、ちょっと食べてみたいなあ」とかこっそり思った人も、実は多いはず。それともお上品に「吐き気がして焼き肉が食べられなくなった」とか言うような観客の方が多いのだろうか? ここはちょっと気になるところだ。後者が多勢なら“ベジタリアンな未来”が待ち受けているって予言に沿って、事態は進行していることに、なるのかなぁ……。しかしブラピも参加したガイ・リッチー監督の『スナッチ』でも“人喰い豚”の群れが出てきたけど特に感銘を受けなかったし、『ハンニバル』の“人喰い豚”他の「いわゆる残虐シーン」って、インドで犬に喰われてる死体達なんかよりショッキングなのか? どうもよくわからない。感覚が麻痺してるんだろうか。 人喰いハンニバルは「喰ってもいい人と駄目な人」を区別するし、多くの国の死刑制度は「殺してもいい人と駄目な人」を区別する。個人的な殺人は犯罪だけど、戦争や紛争(あるいは失政による飢餓)での大量殺人は許される。僕らは「喰ってもいい動物と駄目な動物」を平気で区別しているし、その区別は文化・宗教が違うと異なっているという現実にすらひどく鈍感でもある。人類学者に「人類が抱える肉食という病理」なんて言われてもピンとこないので、もうすでに充分「罪深い」のかも知れない。『ハンニバル』を観ていて、罪と罪でないものの区別が曖昧になるのは、そういう感覚だ。女犯罪者はエイズであることを悪用し、無垢な赤ん坊を抱いて警察の銃口を避けようとする。地元警察はクラリスの指揮を無視して事態を悪化させる。マスコミはしかし指揮者のクラリスを叩く。司法省やFBIは悪の大富豪(しかも映画では描かれないが幼児虐待の常習者だ)の傀儡になる。イタリアの刑事は賞金目当てで個人プレーに走る。正しいことをしても何の得にもならないってな描写を積み重ねて、原作はハンニバルを後味も悪く正当化する。で、映画は……。おっと、ここから先は映画を観た後で考えるべき話だ。ま、魅力的な悪を描くことすら陳腐化しつつある時代に、「食べてはいけないものを知らずに食べてしまう」かもしれない無知な子供のような僕たちは、それだけで充分「罪深い」のではないだろうか? レヴィ=ストロースも寄稿したイタリアの大手新聞『ラ・レパブリカ』紙、その94年4月あたりの記事で、トマス・ハリスがある裁判の傍聴席にいたとスクープされてたのだった。あの『羊たちの沈黙』の作家が、そんなところで何をしていたのか? イル・モストロという実在の連続猟奇殺人犯の取材らしい? ということは続編の舞台はこのフィレンツェか?------ってな騒ぎになったらしい。その推測はまんまと当たったわけだけど、このイタリア・ロケが売りでもある映画版『ハンニバル』では“イル・モストロ事件”についてはちょっとしか出てこないのが惜しい。興味がある人は原作やムックなどを追っかけてみるべし。 > ●『ハンニバル』(2001年/アメリカ/2時間11分/配給:ギャガ=ヒューマックス)2000年4月7日(土)より、丸の内ルーブル他、全国松竹・東急系にてロードショー。 監督:リドリー・スコット/出演:アンソニー・ホプキンス、ジュリアン・ムーア、レイ・リオッタ、ジャンカルロ・ジャンニーニ、ゲイリー・オールドマン、フランキー・R・フェイゾン、フランチェスカ・ネリ、ヘイゼル・グッドマン/製作:ディノ・デ・ラウレンティス&マーサ・デ・ラウレンティス 『ハンニバル』公式ホームページ http://www.hannibal.ne.jp/
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