[PLANET OF THE APES/猿の惑星]

2001年7月28日より日劇プラザ・ニュー東宝シネマほか全国東宝洋画系にて公開

監督:ティム・バートン/脚本:ウィリアム・プロイルスJr/製作:リチャード・D・ザナック/出演:マーク・ヴォルバーグ、ティム・ロス、ヘレナ・ボナム=カーター、マイケル・クラーク・ダンカン、エステラ・ウォーレン、ポール・ジャマッティほか(2001年/アメリカ/1時間59分/配給:FOX)
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時は2029年、スペース・ステーション「オベロン号」では、人間が訓練したチンパンジーのパイロットたちが惑星調査のために搭乗していた。そんな中、惑星間に異常現象が発生。チンパンジーのパイロット・ペリクリーズが偵察ポッドに乗って調査に向かうが、交信不能となってしまう。宇宙飛行士のレオは上官の制止を無視し、偵察ポッドでペリクリーズの捜索に出るが、彼もまた消息を絶ってしまった…。

意識を取り戻したレオは、偵察ポッドがある惑星に落下していることに気づく。ポッドを出た彼が目にしたのは、逃げまどう人間たちと、言葉をしゃべり、人間を捕獲する猿たちであった。この惑星は知性をもった猿が支配しており、人間はその奴隷となっていたのだ。

捕らわれの身となったレオだが、人間に好意的な猿の女性・アリの協力を得て、脱出に成功する。レオは偵察ポッドから交信機を回収。交信機は、オベリスク号がこの星に着陸していることを示していた。レオは地球へ帰るため、オベリスク号へ向かうことを決意する。一方、アリに想いを寄せるセード将軍は、アリを取り戻すべく、軍隊を率いてレオたちの追撃を開始した。
惑星の支配者は猿か?人間か? 世界の運命をめぐり、衝撃の真実が彼らを待つ…。


往年の名作『猿の惑星』のリバイバル版。旧作とは設定上のつながりはなく、「猿が人間を支配する」という構図のみ受け継いでいる。

とはいえこの映画は、“ティム・バートンの作品”として楽しむのが正解だろう。例えばオープニング。延々と猿人たちが画面に映し出されるのだが、彼らの纏う甲冑は、SF的なラインに中世的な意匠を凝らしたもの。「このデザインを見よ!」というティム・バートンの声が聞こえるようだ。さらに本編に入ると、猿人たちが俊敏に舞い、怪力を見せつけ、知性と感情を発露する。身体能力で人間に優る以上、彼ら猿人こそ“超人”の名に相応しい。さらに猿たちの動作はもちろん、日常生活のディティールまでも細かく描写されており、「猿の世界」をこれでもか、とばかりに活写するのだ。
一方、そんな猿への偏愛の裏返しか、人間の扱いは軽いものだ。描写のボリュームも少ないし、猿に比べればインパクトも弱い。主人公の動機は「故郷へ帰ること」に終始しており、ヒーロー性に欠ける印象だ。

そんなわけで、(定型的な表現ながら)「異形の者」への愛情表現こそ、本作の持ち味と言える。ついてこられない人には全く理解できない世界、ティム・バートンの美学が全面的に展開された世界だ。もっとも、そんなキワどい路線に走りながらも、B級カルト作品に陥らない点に、ティム・バートンの凄味があるのだろう。

だから(ネタばれになるため詳述できないが)オチのオチも、そういうコンテクストに置いてみると、分かる気がする。異形・異端への倒錯的な偏愛が完全化したビジュアル。理屈的にはさておき、発想自体はナットクできるものだ。これから映画を観る人は、ラスト5分に注目してほしい。

Text:吉川まさと


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