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絵に描いた豪華な屋敷の、甲冑の門衛を両脇に置いた扉へとカメラはゆっくり近づく。扉の向こうは幾何学的な反復模様や円柱、人の顔や馬を随所に配した装飾的な壁画など。それらをクローズアップしたり舐めるように移動したり、放射線状の光のラインが時折意味ありげに現れたり……全てはセピア色だ。スクリーンに合わせて奏でられるレトロで柔らかい音楽が、ジワリとサスペンスフルに変調したりもする……。そうした黎明期の映画技術の典型例をアヴァンタイトルとして物語が始まる。1921年、ベルリンにあるジョファ映画スタジオ。ドイツ表現主義映画の巨匠、「ドクトール」ムルナウ(ジョン・マルコヴィッチ)が、後の出世作となる新作『吸血鬼ノスフェラトゥ』にとりかかっている。窓辺のセットで、阿片で大人しくさせられた猫と遊ぶヒロイン役の女優グレタ・シュレーダー(キャサリン・マコーマック)は、この後のロケ撮影が気に入らない様子だ。
もともと『吸血鬼ノスフェラトゥ』は、ブラム・ストーカーの怪奇小説『ドラキュラ』の映画化のつもりだったのだが、原作者の未亡人から許可が下りず、舞台をトランシルヴァニアからチェコスロバキアに、ドラキュラ伯爵をオルロック伯爵に変更するという苦肉の策での映画化なのだ(公開後、案の定ストーカー夫人に盗作と訴えられるのだが、それは別世界------我々の歴史での出来事だし、この話には出てこないので気にせずにおこう)。その肝心の吸血鬼役の俳優は、撮影までロケ地のチェコの古城に待機しているという。監督が独断で決めたらしいノスフェラトゥを演じる俳優マックス・シュレックは、ロシア演劇仕込みのスタニスラフスキー式に、そこで役になりきっているというのだ。汽車と馬車を乗り継ぎ、鄙びた田舎に辿り着いた監督とプロデューサー兼美術担当のアルビン・グラウ(ウド・キアー)、主演俳優のグスタフ・フォン・ヴァンケンハイム(エディ・イザード)、カメラマンのヴォルフ・ミュラー(ローナン・ヴィバート)、脚本家のヘンリク・ガリーン(ジョン・アーデン・ジレット)。寄宿する宿屋の女将はどうも迷信深くて、撮影準備で十字架をどけると烈火のごとく怒りだしたりもするのだったが……。 撮影初日、初めて姿を現したシュレック(ウィレム・デフォー)に一同は驚愕する。長い爪、はげ上がった頭部、大柄な身体を覆う黒衣、なにより不気味な眼光……。迫真の登場シーンがフィルムに収められる。なりきり過ぎの吸血鬼役者は、続く撮影中に、勢い余ってカメラマンのヴォルフに噛みついて再起不能にしてしまう。ムルナウが代わりのカメラマンを探すためにベルリンへ戻っている間、アルビンとヘンリクはシュレックの奇行に、感心したり賞賛したり。 新しいカメラマン、フリッツ・ワグナー(ケアリー・エルウェス)が到着し、舟に乗りたがらないシュレックのために古城横に実物大の舟のセットまで建設して撮影は再開される。だが主演女優グレタがロケ地入りすると、キザ男のフリッツは彼女を口説こうとするし、グレタの方はモルヒネで酔っぱらってるし、シュレックはそんな彼女の周辺をうろつくし……と事態はややこしくなる。おまけにヘンリクも、ムルナウ監督とシュレックの行動に疑問を抱き始めるのだった。 ヘルゴラント島でラストシーンの撮影がスタートすると、ムルナウまでがアヘンチンキに溺れるようになり、詰め寄るアルビン達にシュレックの正体を明かす------「ヤツをどこで見つけてきた?」「本の中で……」。島に閉じこめられた彼らは、「ヒロインが血を与え続けて朝まで吸血鬼を引き留め、朝日で不死者ノスフェラトゥを倒す自己犠牲的な結末」という脚本にそって、ラストシーンを撮るしかない。何も知らないグレタは、鏡に映らないシュレックに驚くが、麻薬で朦朧とさせられたまま撮影は続行される。シュレックは間抜けにも見えるがなかなか抜け目がない。はたして彼らの、そしてこの映画の運命はいかに?? サイレント映画時代の古典的名作、元祖ドラキュラ映画でもある『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)の撮影秘話------実は吸血鬼役者はホンモノの吸血鬼だった!?ってのが、この映画の核となるアイデア。なんだけど、ブラック・コメディというには中途半端なトホホ感がちょっと辛い、カルト系奇天烈ホラーに仕上がってるのだった。だいたいノスフェラトゥ役の俳優マックス・シュレックは、この映画の他にも50本くらいの映画に出てるので、本物の吸血鬼だとしたらココでどう凌いだか?がキモになるはず、なんだけどなあ……。ま、パラレル・ワールドでの話だってことにしておこう。 本作のなによりの見どころは、二大クセモノ俳優による豪華な競演だ------ムルナウ監督を演じるジョン・マルコビッチ(『コン・エアー』『仮面の男』『マルコヴィッチの穴』など、『魔王』も日本公開待機中)と、シュレック役のウィレム・デフォー(『ミシシッピー・バーニング』『ワイルド・アット・ハート』『ルル・オン・ザ・ブリッジ』『イグジステンズ』『アメリカン・サイコ』など)のお二人のファンは、彼らのなりきり演技を堪能できればヨシとすべきだろう。特にデフォーがやってのけた、無声映画俳優に顕著な大袈裟な立ち振る舞い、哀感あふれる迫真のノスフェラトゥ演技が凄い。例えばグレタの部屋を探して、宿の廊下で順番にドアをガチャガチャいわせ、どれも鍵が閉まってるのでトボトボ帰ろうとするところを撮影スタッフに目撃されちゃう、なんてシーンはもう最高である。吸血鬼=映画の魔に憑かれた監督のメタファーってな発想で造形されたムルナウ監督を、ヘンテコなゴーグルを装着して医者のような白衣を着た(これは実話らしい)マッド・サイエンティスト風に演じてみせたマルコヴィッチも、どうもデフォーには食われちゃってる感じもある。ウィレム・デフォーは本作で、第73回アカデミー賞最優秀助演男優賞ノミネートをはじめ、インディペンデント・スピリット賞・最優秀助演男優賞&ロサンジェルス批評家賞・最優秀助演男優賞を受賞するなど、数々の賞に挙がったのであった。 また他の役者・スタッフ陣も、『バンパイア・キス』で吸血鬼を演じてた製作のニコラス・ケイジをはじめ、吸血鬼映画に縁の深い人達だらけなので、その手の映画ファンには嬉しい企画なのだろう。僕としては、これを機会に、ヴェルナー・ヘルツォーク監督・クラウス・キンスキー&イザベル・アジャーニ主演による傑作リメイク『ノスフェラトゥ』(1978→日本公開83年)も是非観て、比べて欲しいなんて思っちゃったのだった。 あ、たまたま深夜のNHK総合で、HBOのTVシリ−ズ『人類、月に立つ』をやってたんだけど(脚本のスティーヴン・カッツはこの第1話の脚本を手がけている)、その最終話は、最後の月面着陸を果たしたアポロ17号とメリエス監督の『月世界旅行』(1902)の撮影風景のドキュメントが交互に展開する話だった。今世紀初頭のフランスの映画製作の現場を再現していて興味深かったんだけど(トム・ハンクスがメリエス監督の助手役で出演してる!)、『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』では21年のドイツでの映画撮影の様子を垣間見ることができるのだ。「アイリス・イン、スタート(ビギン)!」って監督の掛け声で、手回し式のキャメラを操るなんていう当時の撮影風景を再現してるのも、この映画の魅力のひとつと言えそうだ。 Text:梶浦秀麿 Copyright (c) 2001 UNZIP |