[URAMI〜怨み〜] Bruiser

2001年10月20日よりシアター・イメージフォーラム他にて

監督・脚本:ジョージ・A・ロメロ/出演:ジェイソン・フレミング、レスリー・ホープ、ピーター・ストーメア、ニナ・ガービラス、アンドリュー・ターベット、トム・アトキンズ、ジョナサン・ヒギンズ、ジェフ・モナハン、マリー・V・クラズほか(2001年/カナダ・フランス・アメリカ/1時間40分/配給:コムストック)


朝の7:30、目覚まし代わりのラジオで起きたヘンリー・クリードロー(ジェイソン・フレミング)は、腕立てをしてシャワーを浴びる。鏡の前で拳銃自殺する幻覚を見る。と、ラジオの人生相談コーナーに、40年住んだ家を相続税で売却して一文無しになったという男が電話してきていて、その場で自殺を予告して銃声が響く。自殺の実況中継を聞いて他人事ではないと思うヘンリー。瀟洒なマイホームに住んではいるが、内装は資金不足でまだ途中の状態。ローン返済に追われてガソリン代も節約して早朝出勤の毎日だ。美しい妻のジャニーン(ニナ・ガービラス)はまだベッドの中で、ペットのプードルの餌やりを命じるし、「今ラジオで……」と話しても「いろんな人がいるのよ」で片づけられてしまう。大学時代からの友人ジミー(アンドリュー・ターベット)にまかせた株の方も、ジミー本人は景気よく新車のベンツで出社してるのに「市場が低調でね」と損ばかりしてるみたいだ。駅まで乗せてもらったので文句も言えないのだけれど。その駅では割り込んでくる女がいて、思わず殴りつけて列車に轢かせる……なんて幻覚を見てしまったりする。出社した雑誌社では受付嬢に「バカが自殺したそうね」と声をかけられる。

男性誌「BRUISER(ならず者)」のワンマン編集長ミロ(ピーター・ストーメア)は、ヘンリーをバカにすることに熱心な口先マッチョ野郎である。彼の妻で写真家のロージー(レスリー・ホープ)は分別ある女性なのに、何故あんなヤツと一緒になったのだろう。そのミロの豪邸でのガーデン・パーティの準備をさせられたヘンリーは、造形作家でもあるロージーのアート=いろんな人の石膏のデスマスクを採って自由に彩色する作品の手伝いをする。と、妻がミロといちゃついているのを目撃してしまう。帰り道、妻を責めたヘンリーは、逆切れした妻に「ミロを殴りもしない……あなたに見込みはないわ、あなただけ降りて!……カス男、一人で寝てな」と罵られる。妻を殺す幻覚を見る。翌朝、目覚めたヘンリーは、自分の顔にロージーが作った白い仮面がくっついていることに気づく。どうやっても外れない。いつもの夢だ、いや、この空虚な白い仮面が自分の本当の顔なのか?

彼が不在だと思って入ってきた家政婦の、雇い主を舐めきっている声が聞こえる。金や食器などをくすねてる。怒りが爆発し、殴り倒す。と、妻が帰ってきたので慌てて隠れる。プードルが吠えないように気を使いつつ、ジャニーンが電話で浮気のアポをとるのを盗み聞きし、後を付けるヘンリー。会社の会議室でミロと抱き合うジャニーン。突然現れたロージーが浮気現場を押さえて写真を撮って去る。ロージーの車に追いすがるミロは、ビルの4階、あの会議室の窓を割ってジャニーンが飛び出し、首を吊って死ぬのを見上げて唖然とする。駆けつけた刑事(トム・アトキンス)は下半身丸出しのミロに怪訝な顔をする。刑事コンビの捜査は迷走し、新聞が「顔なき殺人者」と騒ぎ始める。だがヘンリーの復讐は、腐った世界全てに向けられたわけではない。ヘンリーの家で何が起こったかを目撃した唯一の生存者がそれを証し立てている……。自分の株のポートフォリオを見つけて、ジミーがジャニーンと組んで儲けを山分けしていたことを知ったヘンリーは、テニス練習場でジミーと対峙する。友人だったはずなのに……。そして、ミロのために準備させられたミレニアム記念のクラブ・イベントが、復讐のクライマックスとなる。埠頭の倉庫での仮装パーティ会場で、ミスフィッツのライブに大盛り上がりの聴衆。刑事達が駆けつけ、ヘンリーから真相を知らされたロージーも現れる。ヘンリーの顔にまたしても異変が訪れていた……。


普通のいい人、でも(であるがゆえに?)ウダツの上がらない30男が、周囲に舐められまくった挙げ句にブチ切れて「顔のない殺人者」となる話。社会風刺めいたホラー寓話、というかカフカの『変身』もどきのワン・アイデアを、無理矢理デフォルメした現代アメリカ社会に落とし込んで、道徳的なホラー映画(って語義矛盾?)に仕立て上げた怪作である。スプラッタな描写は極力抑えられ、イマドキ珍しい「動機ある殺人」を丁寧に描き切るので、なんだか懐かしい気分。監督のジョージ・A・ロメロといえば“マスター・オブ・ホラー”の称号を持つ80年代スプラッタ・ホラー映画ブームの先駆者だ。ホラー嫌いの僕でも知ってる『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/ゾンビの誕生』(68)、『ゾンビ』(78-94完全版)、『死霊のえじき』(85)のロメロの<ゾンビ三部作>は“ゾンビ映画のカノン(正典)”である(いや65年作の『死霊の盆踊り』が早い、とか『サスペリア』のダリオ・アルジェントが真の“マスター・オブ・ホラー”だ、とか言い出すとキリがないんで……)。そのロメロの、93年のS・キング原作なのに日本ではビデオ・ストレートだった『ダーク・ハーフ』以来8年ぶり(というか一般劇場公開ということでは88年の『モンキー・シャイン』以来12年ぶり)の新作が本作なのである。ホラー・マニアは必見ってとこか。

テイストは『モンキー・シャイン』に近い“復讐寓話”で、仇役達(妻や株屋や上司や家政婦)の漫画に描いたような小悪党ぶりがグーだ。原題が主人公の編集してる雑誌にひっかけたBRUISER(ならず者)だからか、絶妙に腑に落ちる程度のならず者=嫌なヤツ揃いなのが面白かった。ついでに邦題にまつわる「何も悪いことしてないのに虐げられてる!」って感じの怨み=ルサンチマンの方は、平井和正の初期作品(『幻魔大戦』や<ウルフガイ>シリ−ズとか)に通じる懐かしの味わいがある。あの主人公ヘンリーの白い石膏仮面は、チラシで見ると馬鹿馬鹿しく間抜けな感じがするけど、映画上ではわりと違和感もなくて、『変身』風のシチュエーションやロージーとの心の交流、ラストのオチなんかではじわっと文芸作品のような匂いがあったりもする(そこがヘンテコ感を醸し出してもいるのだけど……)。あと、内装工事中の自宅の電動カッターや、雑誌社の会議室のモダンな自動開閉間仕切り(?)、テニス練習場やそこのロッカーでの銃アリの対決シーン、ライブ会場での演出用レーザー光線などなど、思わせぶりなギミックは、どれもB級ホラー味の愉しさがある。そうそう、そのクラブ・イベントの場面ではカルトな人気バンド、ミスフィッツが実際に生演奏してるし、そこの花道で仮装した幼い子供が「死ね、死ね」と言いながら練り歩いたりしてて、なんだかエキストラで参加すれば楽しいだろうなぁって感じだったのが微笑ましくもインディーズな感じだった。

ヘンリー役は『グリード』(怪物に頭から食われるテロリスト役)とかガイ・リッチー監督『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』『スナッチ』にも連続出演していたジェイソン・フレミング(他に『レッド・バイオリン』『チューブ・テイルズ』など)。上司のミロ役は『ファーゴ』でブシェーミの相棒の無口な殺し屋、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でセルマに惚れてる木訥な男を演じたピーター・ストーメア(他に『ロストワールド/ジュラシックパーク』『アルマゲドン』『8mm』『ミリオンダラー・ホテル』など)。ロージー役を『トーク・レディオ』『カンザス』『栄光と狂気』などのレスリー・ホープ、ジャニーン役をTV『City Lghts』レギュラーのニナ・ガービラス、ジミー役を舞台『サルティンバンコ』ツアーで男爵役を2年半やったこともあるというアンドルー・ターベットが演じている。

なお同時期にロメロのデビュー作を再編集した『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/最終版(30周年記念ヴァージョン)』(ジョン・A・ルッソー版とも言う)が、レイト・ショー公開されている(10/6〜シアター・イメージフォーラム)。モノクロ映画をビデオで見るのは辛いって御仁は、この機会に劇場で観てみよう(カラー着色した版もレンタルビデオ屋でたまに見かけるけどさ)。ついでに。ホラー映画を通してアメリカ現代史を力ワザで語ってみせるドキュメンタリー映画『アメリカン・ナイトメア』(9/29〜六本木俳優座トーキーナイト)も必見だ。ジョージ・A・ロメロ、トビー・フ一パー、ウェス・クレイヴン、デヴィッド・クローネンバーグ、ジョン・カーペンター、ジョン・ランディスといったジャンル・ホラー系の映画監督達や特殊効果のパイオニアであるトム・サヴィーニが登場し、『ザッツ・ホラームービー!』ってな感じのホラー映画名場面集がアメリカの公民権運動からベトナム戦争などのニュース映像と二重写しにされて、良識ある映画ファンにジャンク扱いされてきたホラーの知的な復権(情報操作?)を企てる映画研究者達の“熱さ”が伝わってくるゾ。「ゴダールの向こうを張った『ホラー映画史』だ」なんてホメ過ぎてもいいかもしれない(笑)。あわせて観るように!

Text : 梶浦秀麿


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