[アメリ] Le Fabuleux destin d'Amelie poulain

2001年11月17日より渋谷シネマライズにて公開。以後、全国順次公開。

監督・脚本:ジャン=ピエール・ジュネ/出演:オドレイ・トトゥ、マチュー・カソヴィッツ、リュフュス、ヨランド・モロー、アルチュス・ド・パンゲルン、ウルバン・カンセリエ、ドミニク・ピノン、モーリス・ベニシュー、ジャメル・ドゥブーズ、イザベル・ナンティ他(2001年/フランス/2時間1分/配給:アルバトロス・フィルム)/ノベライズ:リトル・モア刊/ビジュアルブック:プチグラパブリッシング刊

→特集:「アメリ」
公式サイト http://www.amelie-movie.com/


1973年9月3日18時23分30秒に、この広い世界で起こった無数の小さな出来事のうち、4つの本当にささやかな出来事を語るところから、物語は始まる。街角の虫の儚き旅立ち、丘を渡る風の繊細なダンス、死して消される住所録の名前の悲哀、そしてある受精の瞬間……。9ヶ月後、我らが主人公、アメリ・プーランが月足らずで誕生する。タイトルバックは、さまざまな独り遊びを発明する少女時代のアメリの姿だ------指やアゴに顔を描いたり、サクランボのイヤリングを作ったり、切り紙細工にコイン転がしにドミノ、ストローをズズズッと言わせたり、10本の指にラズベリーを刺して食べたり……。

元軍医で地元アンギャンの病院に勤める父、ラファエル・プーラン(リュフュス)とちょっと神経質な母、アマンディーヌ(ロレーラ・クラヴォッタ)の間に生まれたアメリは、6歳の時、父の誤診(大好きなパパに診察されてドキドキしてるアメリを心臓病だと勘違いしたのだ!)で、学校へ行くことを禁じられて、独り遊びの名人になってしまった。唯一の友達“クジラちゃん”も、金魚鉢から身投げして、母が助けるまでアメリが悲鳴をあげまくったせいで、川に逃がしてやることに。それ以来、空想の動物相手にお医者さんゴッコしたり、中古カメラで雲になった動物達を撮影したり……。悪戯もした。8歳のアメリ(フローラ・ギエ)は偶然、近所のオジサンの自動車事故を目撃してしまい、オジサンはアメリの持ってたカメラの呪いだと罵ったのだ。すっかり本気にしたアメリは、世界中の事故が自分のせいだと母に懺悔。騙されたと知った彼女はそのオジサンの家の屋根に登って、ラジオでサッカー中継をチェックしながらシュート場面になるとTVのアンテナを抜く。熱心にサッカー中継を鑑賞していたそのオジサンは、いい場面で画面が乱れるので気も狂わんばかり(笑)。やがて母がノートルダム寺院での唐突な事故で死んで、父はますます内向的になり、父娘の二人暮らしは侘びしいものになっていく……。

おっと。以上は前置き。この話の本題は、1997年8月27日から9月28日までの約一ヶ月の間に起こった、23歳のアメリ(オドレイ・トトゥ)の運命を変えた出来事なのだった。彼女は4年前に家を出て、パリ18区、モンマルトルにあるカフェ“ドゥ・ムーラン[2つの風車]”で働きながら、古いアパルトマンの5階で独り暮らしをしている。カフェの女主人マダム・シュザンヌ(クレール・モーリエ)は、元サーカスの曲馬乗り。足を悪くしたのは過去の悲恋の結果らしい。煙草売り場に陣取るジョルジェット(イザベル・ナンティ)は病気コレクターで、いつもアチコチの痛みを訴えている。ウェイトレスのジーナ(クロチルド・モレ)は皮肉屋の美人で、常連客の骨をポキポキ鳴らすマッサージが巧い。そのジーナに2ヶ月前にふられ、嫉妬に燃えるジョゼフ(ドミニク・ピノン)は、店に居着いていつもヴォイスレコーダーに何か吹き込んでる。売れない作家のイポリトさん(アルチュス・ド・パンゲルン)は、そんなジョゼフをからかいつつ、人生の敗北について蘊蓄を傾ける。たった今、お客のスチュワーデス、フィロメーヌ(アルメル)が来たところだ。フライトの時、アメリに猫のロドリーグを預ける仲である。その48時間後、ダイアナ元妃はセーヌ河沿いのトンネルで事故に遭ったのだった。

アメリの生活はシンプルだ。週末には北駅から実家へ戻り、家に閉じこもる父に旅行をすすめる。金曜の夜はたまに一人で映画館に行く。観客を観察するのも好き。恋人はいない。一、二度試してみたけれど、ピンとこなかったのだ。好きなことは、例えばクレーム・ブリュレのカリカリの焦げ目をスプーンで壊すこと、近所の食料品店の豆袋に手を入れること、サンマルタン運河で水切りすること。道ばたで水切り用の小石を拾ってはポケットに忍ばせる癖がある。窓から階下の“ガラス男”と呼ばれる老人のアトリエを、そっと覗くのも習慣だ。先天性の骨の病気で20年も外出していないという噂の人物である。そうして街を見ながら、見知らぬ他人の人生をさまざまに想像するのが、アメリの日課だった。------でもこれではドラマが始まらない。日常生活では無難に振る舞えるのだけれど、実は彼女には「他人とうまく関係を結ぶことができない」という悩みがあった。もちろん、孤独を愛すこと、他人に不当に干渉されない現状も、捨て難いものなのだけれど……。

9月30日から31日に日付がかわる頃、ダイアナ元妃の死亡を報せるTVニュースが、アメリの手から化粧瓶のフタを落とす。転がったフタは、一枚だけズレてるタイルに当たる。外すと空洞があって、古ぼけたお菓子の缶箱が見つかる。中はかつての少年の宝物らしきものがいっぱい詰まってる。午前4時。ベッドで考えに考えたアメリは、この宝箱を元の持ち主に届けようと決意する。「喜んでくれたら、自分の世界を飛び出そう!」----こうしてアメリの捜索が始まる。捜索の過程で、ほとんど話したこともなかった管理人の未亡人マドレーヌ・ウォラスさん(ヨランド・モロー)と黒ライオンの哀しみを知り、いつもの食料品店で使用人のリュシアン(ジャメル・ドゥブース)をイジメてばかりいる店主コリニョン(ウルバン・カンセリエ)の意地悪さに辟易し、地下鉄の切符切りだったというコリニョンの老父の「心を癒す方法」を神妙に聞いたりすることになる。なんとガラス男=レイモン・デュファイエル(セルジュ・メルラン)とも知己を得て、彼が模写する20枚目のルノワール『船遊びの昼食』にかこつけた、セラピーのような会話を愉しむことにもなる。

この探偵仕事は紆余曲折の末、ある男の運命を感動的に変革することになるのだが、アメリの喜びは、すぐに孤独感へと転落する。ダイアナ元妃の葬儀ニュースが自分のものに思えてくる----「売れ残りの女王アメリ・プーランは、23歳の若さで……唯一の心残りは父の最期を看取ってやれなかったこと……」なんて感じで、妄想は悲劇的な方向へと突っ走ってゆく。思わず実家へ向かい、庭の母の霊廟に新しく添えられた小人の人形を盗んでくるアメリ。駅で夜を明かした早朝に、ばったり会ったのは、以前地下鉄の証明写真機の前でゴソゴソしていた不思議な青年ニノ・カンカンポワ(マチュー・カソヴィッツ)だった。アメリは何かの衝動を感じるが、彼はスキンヘッドの男を追っかけて、自分のカバンを落として行ってしまった。そのカバンには、失敗して破り捨てられた証明写真の数々をコレクションしたアルバムが入っていた。カバンを持ち帰ってガラス男と一緒に検討するアメリ。と、先程の坊主男の写真が何枚もある。どうやら頻繁に証明写真を撮っては捨てているらしい。ニノもまた、謎めいた男を探し回る「ささやかな出来事についての私立探偵」なのだった。

さて。アメリはマダム・シュザンヌの恋のレシピを参考にしてジョルジェットとジョゼフをくっつけたり、アルプスで見つかった40年前の郵便飛行機の新聞記事を参考にして管理人の未亡人に奇跡をもたらしたり、はたまた父を旅行する気にさせる悪戯を仕掛けたり、意地悪な食品店主コリニョンを懲らしめたり……と、他人の運命をこっそり変えるお節介や悪戯に精を出し始めるのだが、肝心の自分の運命に関してまで、ゲーム仕立てに振る舞ってしまう。そう、カバンを探すニノとのことだ。彼のコレクションを返すのに、モンマルトル公園で大がかりな謎かけをするアメリに対し、彼は駅の貼り紙で応酬してみせる。負けじと(?)証明写真機のゴミ箱に破って入れたメッセージや、こっそりポケットに入れた伝票裏のメモでコミュニケーションするアメリ……この風変わりな隠れんぼみたいなやり取りは、はたして恋に辿り着くのか? それより謎の写真の男の正体は? どうにも引っ込み思案なアメリに、引きこもりにかけてはエキスパートなガラス男がアドバイスする。「お前の骨はガラスじゃない。このチャンスを逃すな」と。そして……。


もう思わず手放しで絶賛したい、最高にキュートな「ガール・ミーツ・ボーイ」ファンタジーだ。とにかく観た人は誰もが幸せな気持ちで劇場を出られて、オマケにささやかな「人生を愉しむ秘訣」を教えてもらったような感覚さえあるはず。あらすじ↑では再現しなかったけど、ナレーション(『赤ちゃんに乾杯!』『愛を弾く女』『カドリーユ』『クリクリのいた夏』のアンドレ・デュソリエが担当)が、登場人物を饒舌に紹介していく冒頭、それぞれの個人的に好きなものと嫌いなものを並べながら紹介する語り口から、もう何というか小気味いい粋な感触で、この寓話めいた物語に吸い込まれていくことになる。実はこの映画、ちょっと歪んだハッピーさを持つお話で、背後にはシニカルな現実感覚をも隠し込んでいるモダン・ファンタジーなんだけど、観てる間はその膨大な情報量のエピソードの数々を語り倒されて、ニコニコワクワク、クスクスドキドキと、思うさまに心揺さぶられ、最後にはなんだかたっぷり愉しませてもらった気分でお腹いっぱいになっちゃうって感じなのだ。これこそ本作の監督、ジュネの魔法である。

カフェのウェイトレスであるアメリという女性が一応(?)主役のラブ・ストーリーなので、女性客の大量動員はまず約束されてるだろうが、監督が「アメリは私だ」と(フロベールみたいに)インタヴューで言うように、この「趣味性の高い作りこまれたヘンテコなラブストーリー」は、日頃女性の理解を得にくいコレクター気質の男の子にこそ観て欲しい。なにせ本作は映画というカタチをした「小確幸=小さいけれど確かな幸せ」(by村上春樹)のコレクション帳であり、かつ『地下鉄のザジ』以来の「遊び心」のコレクション帳でもあるのだから。とにかく優しい気分になれて、何度も観たくなるのは必至である。

本作『アメリ』(原題は『アメリ・プーランの素晴らしい運命』、「素晴らし過ぎる運命」と訳してるのもあった)は、『デリカテッセン』(91)、『ロスト・チルドレン』(95)、『エイリアン4』(97)と、凝りまくったダークなSF長編を撮ってきたジャン=ピエール・ジュネ監督(最初の2作はマルク・キャロと共同監督)の4年ぶりの新作。これが前作までとうって変わって1997年のパリを舞台にしたいわゆる現代劇だったのに僕はまずビックリした。で、これまでの廃墟美やグロテスクな造形、悪趣味なギャグやダークな絵面などなどは影を潜めていて二度ビックリ(あ、悪趣味なギャグは健在だったっけ)。もちろんジュネ&キャロ映画に色濃いバンド・デシネ[BD]感覚、癖のある登場人物や黒いユーモアやディテールへの偏愛や稚気の全肯定なんてのは健在なんだけど、それをこんなにカラフルでスウィートな柔らかい表現で包み込めるなんて凄い!と思ったのだ。さらにさらにムチャクチャ美人ってワケじゃないのに存在だけで「ヘンでカワイイーッ」なんて思わせちゃう主演女優オドレイ・トトゥの独特の魅力にもすっかりヤラれた。思わず「個人的に大切な映画を入れておく宝箱」にこっそりしまっちゃいたくなる僕なのだった。

そう、この映画は観る人のプライベートな部分にひどく訴えるパワーを持ってるのだ。誰もが自分のために作られた映画、みたいに思っちゃうのではないだろうか? ん? 「共感するのは病んだ都市生活者だけ」だって? そりゃその通りかも知れない。孤独な少女期を過ごして空想癖の肥大したアメリをはじめ、登場人物はみなどこか病んでいる。異様に嫉妬深かったり、いつも身体の不調を訴えていたり……あるいは「イジメられっ子だった」とナレーターにまず紹介され、今の仕事はポルノショップと遊園地のお化け屋敷の掛け持ち、趣味は証明写真機に捨てられたゴミ写真のコレクションってな青年ニノも、やっぱりどこか歪んでる。その歪みに感応したアメリが、互いのセンシティヴな部分(狂った部分でもある)を認め合う儀式となるのが、劇中後半で繰り広げられるヘンテコな「作戦」なのだ。まあ、映画はファンタジー仕立てなのでうまくいくからいいのだけど、小さな自分の世界を持ってしまった人って、うまく合う相手を捜すのは実際なかなか難しい。そういう歪み(過剰だとか欠損だとか)を持った人は普通は敗北者=「負け犬」になるしかないし、それゆえこの映画は人生の敗者達にとても優しい。例えば、夫を愛人に奪われて以来30年以上も泣き暮れる未亡人に訪れる癒し、あるいは出ていった娘に孫ができたというのに会いに行けない50男にもたらされる奇跡、そして閉じこもりがちな孤独な余生を送るアメリの父にも転機となる“謎”が舞い込む。お年寄りにはアメリの「作戦」は効を奏すのだ。でも売れない小説家のイポリトさんは「好きな言葉は失敗だ」と語るし、なによりクネクネと凝った「作戦」を立てないとコミュニケーションできないことを軽く非難されたアメリまで「不当な干渉だ! ヒトは人生に失敗する権利がある」と声高に主張したりもするのだ(空想の中でだが)。またジョルジェットとジョゼフのように、いったんは認め合っても同じ過ちを繰り返す場合もある。だからこの映画は大筋でファンタジックにハッピーな結末を迎えはするけれど、その幸せがあくまで映画というフィクションの中にしかないことも語っている。そして僕らはそのフィクショナルな幸せを抱きながら、それでも現実の世界に立ち向かって行けるような勇気をくれる作品として、『アメリ』を秘かに愛することになるだろう。なにせ映画の中のパリがあんまり素晴らしいので、現実のパリ市民が恥ずかしがって街を綺麗にし始めてるというのだから、素敵な映画の威力ってなかなかどうして侮れないのである。

キャストについて少し。主演のオドレイ・トトゥは1978年8月9日生まれ。『エステサロン/ヴィーナス・ビューティ』(99)が映画デビュー作で、2000年度セザール賞有望若手女優賞を受賞。本作で大ブレイクした。彼女のお相手となるマチュー・カソヴィッツは『憎しみ』『アサシンズ』『クリムゾン・リバー』の監督だ(『憎しみ』では出演も)。なんと大作『クリムゾン・リバー』の編集の合間を縫っての出演だったとか。またジュネ(&キャロ)映画に欠かせないドミニク・ピノン、ティッキー・オルガド、リュフュスがトーゼンのように(笑)参加しているのも、ジュネ映画ファンには嬉しいところ。

ちなみに、ちょうど同日公開の『ムーラン・ルージュ』も同じモンマルトルを舞台にしている(ただし時代は百年前の1899年)けど、アッチは「パリのエスプリなんてクソ食らえだわよ」(オカマ口調)ってな勢いで、怒濤のコメディ+メロドラマ複合仕立ての大作メタ・ミュージカル。『サウンド・オブ・ミュージック』からマドンナ「ライク・ア・ヴァージン」までコテコテの懐メロ大全集クラブ・ミックスってな風情(ちょいお年寄り向け?)なのに対して、コッチは病的なまでに繊細なこだわりとシニカルさで隅々まで作りこみ、それを若者向けにオシャレに朗らかにシュガーコーティングしたパリジャン大喜びってトーンなのが好対照で面白い。この秋はクラブ[紅い風車]VSカフェ[二つの風車]ってなモンマルトル対決を楽しめる希有な季節でもあるのだ。

Text : 梶浦秀麿


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