|
||
闇の中を地下鉄が走る。最後部の車輌からは、周囲のところどころの小さな明かりだけが闇の向こうに向かって急速に遠ざかって行く。耳障りな走行音をBGMにして、何かを象徴するかのように……(闇の向こうに去ってゆく微かな光達は、暗い現実の中のささやかな希望なのかもしれない)。やがて日の光が車内に射す。下町で地上に出たNY地下鉄は、だが景気の悪い曇天の空の色を、24歳のレオ(マーク・ウォルバーグ)の顔に映してみせるだけだった……。
1980年代なかばのニューヨーク、クイーンズ。自動車泥棒の罪で1年4ヶ月の刑期を終えて帰宅したレオを、母や親類縁者が暖かく迎える。女手ひとつで育ててくれた母ヴァル(エレン・バーグ)とぎこちない抱擁をする。心臓が弱い母はずいぶん老けたようだ。大勢の客は、彼の出所を祝うというよりパーティの食事が目当てのようだ。貧しい地域のせいか保護観察官も狭量で、「午後四時に出所したはずだな」と帰宅の遅さを責め、彼の更生を疑ってかかる。「仕事は?」「アテがあります」と答えるレオ。母の妹キティ(フェイ・ダナウェイ)の再婚相手であるエレクトリック・レール社の社長フランク(ジェームズ・カーン)と、明日面接の予定だ。地下鉄修理関連の中堅企業である。居間に戻ると、親友ウィリー(ホアキン・フェニックス)が抱きついてきて「黙っててくれて感謝する」とささやく。レオはウィリーを庇って服役したのだ。それが彼らの友情の絆だった。ウィリーはレオの美しい従妹エリカ(シャーリーズ・セロン)とつき合っているようだ。エリカはレオの服役中に敬愛する父を亡くし、義父フランク(ジェームズ・カーン)にはどうも馴染めないらしい。そしてレオの母が改めて言う----「ここ数年つらいことばかり、でもそれも終わったわ……」。「母さん…いろいろ済まなかった……悲しませて」と、母のために真面目に働くことを心に誓う。 翌日。エレクトリック・レール社の社長室を訪れたレオに、フランクはまず修理工の学校を勧める。卒業に2年はかかり、それでも週400〜500ドル程度の給金しか得られない。「もちろん学費は出す」と言うが、「決して施しは受けない」という母の頑なな信念で育ったレオは、すぐにでも稼ぎたい。フランクのもとで働いているウィリーはひどく羽振りがいい。彼と同じ仕事を希望するレオに、「彼の仕事は勧めない」とフランクは渋い顔をするのだった。その夜に繰り出したクラブでウィリーに相談すると、「学校なんてやめろ、俺は断った」と言う返事だ。幸せそうに踊るエリカをじっと見つめるレオ。と、エリカと踊りだした黒人に怒り、突き飛ばすウィリー。人種のサラダボウルであるアメリカの下町、そこでの無くならない人種対立が、この物語の基底音を奏でている……。ウィリーの仕事は“交渉ごと”らしい。彼について区庁舎を訪れたレオは、クイーンズ=ブロンクス間の整流器の入札に立ち会うことになる。エレクトリック・レール社が勝ち取るのだが、ライバル会社のウェルテック社が異議を申し立てる。マイノリティが経営する会社は全公共事業の10%を優先的に得られるという法律に違反している、と言うのだ。「御社はミスが多いからな」と却下されるが、何やら不穏な裏事情がある気配がする。廊下でウェルテック社のヘクトル(ロベルト・モンタノ)がウィリーにスペイン語で執拗に絡む----「所詮、白人にはなれないんだぞ。俺達と組め」と。その後、人目につかない川沿いの野原で、交通局のボス、グラナダ(ヴィクター・アーノルド)と落ち合うウィリー。賄賂の受け渡しだ。レオは、クイーンズ区長のマイダニック(スティーヴ・ローレンス)をはじめ、役人達がトップから最下層まで贈収賄で腐れ切っていることを知る。週末、招待されたフランクの豪邸でのディナーの席で、レオは「ウィリーと働きたい。学費の援助は受けられない」と決心を語り、母も「援助? お金はダメよ」と息子に賛同する。母親の役に立たない高潔さが、まずレオを追い込んでいくのだった……。 「サニーサイド・ヤードに行く」と真夜中にレオを誘うウィリー。「商売敵の車両をいじる。お前は見てろ」----操車場にあるウェルテック社が修理した地下鉄を、故障するように細工するのだ。ウィリ−のチンピラ仲間が壊してる間、操車場を監視しているゴルウィッツ主任の詰め所に、“贈り物”のプレミア・チケットを渡しにいくウィリー。だが主任は「ウェルテック社に2000ドルもらった。お前の会社は落ち目だ。仲間を連れて帰れ」と警報に手を伸ばす。主任の銃を見たウィリーは、思わず主任をナイフで刺して、殺してしまう。警報を聞いて駆けつけた警察官が、見張り役のレオを殴打する。たまらず警棒を奪い、殴り返して警官を昏倒させたレオは、監視所の中で呆然と立つウィリーを見て、ひどくマズい事態に陥ったことに気づく。逃げ帰って善後策を検討するのだが、上を通せば揉み消してもらえるはずなのに、今回はどうもうまくいかず、事件は公になってしまう。警察への賄賂が手薄だったようだ。 レオが顔を見られた警官は意識不明だが、目覚めると厄介だ。チンピラ達から、病院に忍び込んで射殺するように命じられるレオ。ウィリーはこっそり彼にささやく----「失敗したら、とにかく遠くに逃げろ」。病室で銃を向けたが、撃てないでいると警官が意識を取り戻す。逃げ出してしまうレオ。翌日、地下鉄路線内の現場での入札説明会の最中に、ウェルテック社のヘクトルがウィリーに絡んで乱闘になる。フランクの裏工作も裏目に出て、その夜レオの家に警官隊が突入する。安モーテルに潜伏していたレオは、殺人犯にされたことを知って愕然とする。母が心配だ。ウィリーに電話で助けを求めるが、「親友」の煮え切らない調子に業を煮やして、こっそり自宅へ戻ってしまう。母を看病してくれていたエリカは、真犯人はウィリーだと察知するが、レオを匿うことしかできない。ウィリ−は、もうすぐにも結婚するはずだったエリカの心が離れたのを感じ、さらにフランクからエリカとレオの「過去の秘密」を聞かされて煩悶する。レオを訪ねて殴り合う二人----「全てお前のせいだ!」「罪をかぶるのはもうゴメンだ!」と罵り合い、「裏切り者!」とレオが叫ぶ。遠くにサイレンの音が聞こえ、その場を離れて、廃ビルに隠れるレオ。エリカは義父に涙ながらに懇願して助けを求めるが、会いに行ったレオに「助けてやりたい、だが会社を守らなければ……」としか言えない。大手企業とマイノリティ企業に挟まれたエレクトリック・レール社は、汚職の発覚を恐れる区長達を裏切るわけにはいかない。母に別れを告げたその夜に、ウィリーの手引きでチンピラに襲撃されたレオは、ついに逆襲を決意する。 翌日、事件の真相をめぐって聴聞会が開催される。フランクはウィリーをも切り捨て、役人達と結託して窮地を切り抜けるつもりだった。ウィリーはヘクトルに拾ってもらおうと電話をするが、「遅すぎる」と見捨てられる。ウェルテック社は何か仕掛ける切り札があるらしい。だがもはやウィリーには関係ない。全ては喪われてしまった。フランクの邸宅に合い鍵を返しに来た彼は、学校から戻ったエリカと鉢合わせする。二人の間で愛憎が湧き起こる。そして大勢の聴衆を集めた聴聞会は、フランクの予想しなかった意外な展開を見せようとしていた……。 期せずして『PLANET OF THE APES/猿の惑星』『ロック・スター』と、主演作が日本で連続公開されてるマーク・ウォルバーグの、たぶん本年第三弾となるのが本作品。しかも役名は『猿の惑星』と同じ「レオ」ってのが面白い。猿の惑星から無事帰還したら、車泥棒で刑務所行き、出てきたら地下鉄公共事業の汚職事件に巻き込まれて殺人犯の濡れ衣を着せられて……てな話か?と思うと変な感じ(笑)。いや笑い事じゃない、これは1986年に実際にあったNYの大規模な汚職事件をモチーフとしたシリアスで重厚な社会派ドラマなのだ。 舞台となったNYのクイーンズ地区はマンハッタン島の東、ブロンクス地区の北側にある。この大都市近郊の地下鉄操車場(原題『the yard』はこの操車場から)でライバル会社の修理した車両をこっそり壊して、「あっちはミスが多いから我が社で」とやるのが主人公レオのいる会社だった。もちろん区長をはじめ地区の役人や警察まで買収してある。友人を庇って一人で車泥棒の罪を被ったという「妙に律儀な」レオは、その友人ウィリーが務めていて(でも汚い営業仕事専門だ)、叔父フランクが社長ということで、そこに就職したのだ。しかも従妹のエリカはウィリーと婚約してて、なんだか家族親族ぐるみの物語にもなってくる。貧しいが高潔な母のためにも「いいひと」になりたいレオなのだが、なんともアッ気なくドン底に突き落とされ、ついには自分を救って全てを失うか、自分だけが犠牲になるか、というエグい選択を迫られる展開を、映画はじっくりどっしりと描いてゆく。さらに加えて「正義がなされる」結末も何とも苦く、結局、「資本主義的人間」の抱える悪の中でいかに正しく生きるのが難しいかを思い知らされる気分になる。会社勤めなんかしてると、否応なく「儲けたモン勝ち」の結果主義に陥ってしまうか、見て見ぬふりで消極的に会社の悪事に加担していたりするものなので、そーゆー人が「レオがドン臭いからダメなんだ」なんて言っちゃうかもと思うと、ちょっとゾッとするなぁ……。家族や会社や仲間、親友や恋人に対して「裏切り者」になってでも正しいことをすべきか、 というのは何とも心の痛い選択なのだった。 監督のジェームズ・グレイは、デビュー作『リトル・オデッサ』(94)でロシア系ユダヤ移民の多いNYブルックリンの南端地域を舞台にした映画で一躍注目され、これが長編映画2作目。本作の画面イメージはエドワード・ホッパーやホセ・ドゥ・リベラ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、カラヴァッジオやゴヤの古今の名画を参考にしたらしく、ホルストの組曲『惑星』の<土星>をメインテーマにした重厚な音楽と相まって、ズシリとしたドラマを盛り立てる。主演は冒頭で書いたとおり売れっ子(なのかな)のマーク・ウォルバーグ(他に『ブギーナイツ』『NYPD15分署』『スリー・キングス』『パーフェクト・ストーム』など)。親友ウィリー役を『グラディエーター』の悪役ぶりが印象深いホアキン・フェニックス(他に『誘う女』『Uターン』『8mm』『クイルズ』など)が熱演。従妹エリカ役を近日公開『スィート・ノベンバー』が控えるシャーリーズ・セロン(他に『セレブリティ』『マイティ・ジョー』『ノイズ』『サイダーハウス・ルール』『レインディア・ゲーム』『バガー・バンスの伝説』『ザ・ダイバー』など)。この3人の若手人気俳優に加え、『俺たちに明日はない』『華麗なる賭け』などのフェイ・ダナウェイや『エクソシスト』『アリスの恋』などのエレン・バースティンという二大女優、『ゴッドファーザー』のソニー役で有名なジェームズ・カーンら渋い男優陣が脇を固めるという、実はなかなか豪華なキャスティングなので、古い映画ファンも面白がれるかもね。 さて。日本でも『金融腐蝕列島・呪縛』って秀逸な社会派ドラマがあったけど、お金がたくさんあるところ=銀行や公共機関では「えげつない悪事」が発生しがち。談合や賄賂や裏工作、ヤクザさんの脅しや卑劣な情報操作なんてのは、田舎の町役場レヴェルでもあって、やってる本人は利益追求という経済活動の一環だとは思ってても、やってはいけないことだとは思ってないみたいなところがミソ。「みんなやってる」なんて言い訳してるから、倫理的な厳格さを貫く過激な宗教原理主義や理想を追う共産主義のテロリストから「腐敗した資本主義が人を堕落させる」なんてテロ攻撃の口実を与えちゃう訳で……。と、何か最近は何書いても例のテロ事件の話になってしまう。NY近郊が舞台だし。やっぱり個人的にも衝撃が大きかったのであった、いや現在進行形なんだけどさ……。 オマケのヨタ話。「猿は猿を殺さない」ってのはコーネリアス(小山田圭吾)が自らの連載エッセイのタイトルにしたほどの名台詞、出典はオリジナル版の『猿の惑星』なんだけど、ティム・バートン版の『PLANET OF THE APES/猿の惑星』の猿は、仕草や個別行動は猿なのに、社会活動はまるで人間みたい。あげくに現代のワシントンD.C.を舞台に人マネ(というかアメリカ人のマネ)してるってギャグまであって、主人公レオ役のマーク・ウォルバーグもア然ボー然としてたのを思うと、イヤ〜な気分になる。主人公つながりでつい見ちゃった『裏切り者』自体も、僕らの現実を猿マネしてみせた鏡(ないし戯画)みたいなものだと考えると、ティム・バートンの「皮肉」が強烈に効いた気分になってしまうのだった。 Text : 梶浦秀麿 Copyright (c) 2001 UNZIP |