『コンセント』中原俊監督、市川実和子
記者会見レポート


『コンセント』
原作:田口ランディ、監督:中原俊、出演:市川実和子、村上淳ほか、2002年2月2日よりテアトル新宿にてロードショー 以降全国順次公開

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応募期間:2002/2/23〜2002/2/5

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ひきこもりの兄の孤独な死をめぐって、あるトラウマを抱えた女性ライターが精神的な遍歴を重ねてゆく------過去の愛人である心理学者や、かつての同級生であるシャーマニズム研究者、精神科医らとの交流のなかで、自らの解体と脱却を経て、巫女めいた資質に覚醒する物語が『コンセント』だ。「インターネット出身の作家」として知られる田口ランディの原作小説を、『櫻の園』『12人の優しい日本人』『コキーユ』『カラフル』の中原俊監督がクレバーかつリリカルな筆致(+ホラー&エロスのテイストも)で見事に映画化したもので、なにより元「クロウサatポンキッキーズ」の市川実和子(『アナザヘヴン』『リリィ・シュシュのすべて』、TV『トトの世界』など)が体当たりの演技、というか自然体の魅力で、性的にも奔放なヒロインを好演しているのがグーだ。監督自身が「10年ぶりの傑作」と言うだけはある、ちょっと必見ものの邦画である。

その映画『コンセント』の中原俊監督、市川実和子による「ネット会見」が、去る2001年12月21日(金)13時より、東京テアトルにて行われた。これは映画サイトやウェブ・マガジンなどインターネット関連の記者のみを集めたっていう、ちょっと変わった趣向の記者会見。当日は雨模様だったが狭い会場は満杯の盛況で、飛び出す質問も微妙な濃さ(笑)があって興味深かったのだった。後半、お二人ともどんどん声が小さくなるのでテープ起こしにはナンギしたが(ううう)、例によってなるべく忠実に再現した会見の模様、どうか読み込んでみていただきたい。
司会:「本作品は今年(2001年)5月にクランクインし、8月末に完成、そして来年(2002年)2月上旬公開が決定しました。原作は田口ランディさんの同名小説で、インターネットから出られた作家さんということで、本日はこのような会見を設けさせていただきました。この作品は『スターウォーズ/エピソード2』でも採用され話題になっていますハイビジョンのデジタルビデオカメラのシステム、24pで撮影されています。このシステムの特性からさまざまなメディアでの使用が可能であり、本作はBS-iで明日19時からディレクターズ・カット版が先行放映されることになっています。ではまず、中原監督と主演女優の市川実和子さんのご挨拶から……」

■中原俊:「えっと。中原です。これだけ集まっていただいて非常に嬉しいです。原作の田口ランディさんの小説が非常に珍しいカタチで出てきて、そういう作品に遭遇しまして。読んでみて自分の作りたい感じの映画っていうのがそこにあって、非常に気持ちよく作ることができました。市川君とも非常にうまくいきまして。自分では10年ぶりの傑作だと思っています」

●市川実和子:「こんにちわ。初めまして、市川実和子です。あの、デジカメがいっぱいですね(一堂笑い)。えー監督がそう言ってくださって、とても嬉しいです(照れ)。あの……(この映画の魅力をうまく)伝えて下さい(笑)」

Q:撮影現場に原作者の田口ランディさんがいらしたと伺っていますが、彼女はどんな方なんでしょうか? 主人公のユキさんに似た方ですか?

■中原俊:「ああ、たぶん違う。まあ、原作の小説の方は主人公の客観描写はないんですね。内面描写と、他の人が言ってるとかしかない。長身でスラリとしたとか小さくて可愛いとかいう具体的な容姿の描写がないんですね。で、どんな方かな?と思っていたんですが……。で撮影現場の方は、これ僕らにとってはありがたいんだけれども非常に奇特な方といいますか、『一切何も言いません。自由にいい映画を作って下さい』とおしゃって下さって、現場にも来ないということだったんですね。『できあがったら試写室でお会いましょう』と。作る側としては任せられて緊張するようなところもあるし、でも一番ありがたいことでした。で、突然、最終日に近い、映画の中では病院でユキが目覚めるシーンの撮影の直前、前日になって『明日、行きたいんですけど』と連絡があって。ま、こちらもちょうど山場に入るところで、映画内でもクライマックス前で、これからどうしようかと悩みに入るという矢先に、非常にいい勘で来られる、という怖いようなタイミングでお会いしたんですが、ついつい昔から知ってるような感じの人で。旧知の知り合いみたいなつもりで語り合っちゃって、『どうかな田口さん?』なんて言っちゃって……。まあ、そんなような感じで。現場にいらっしゃったのはその一度だけでした」

●市川実和子:「いらっしゃると聞いて、それなりに緊張してたんですけど、会った瞬間、『ぴったりぃ〜! 声も素敵ぃ!』ってワァァってこう来て(笑)、『あ、ありがとうございます』と。なにか凄い、元気のいい方というか、意外でしたね。素敵な人です、面白い方で。体当たりでしたからね……」

■中原俊:「日常空間(?)があるよね、会った瞬間に何故かね。本音をぴらっと言っちゃうような、ちょっと怖いところもある(笑)」

Q:この作品を観て何を言っていいのかなってくらい衝撃を受けたんですけれども……。先程、監督は原作を読んで、自分の作りたい作品がそこにあったとおっしゃったんですが、具体的に映像化するに当たって、自分で作りたい作品というのはどういうものだったんでしょうか?

■中原俊:「僕も長いこと映画やってますんで、だいたい先が見えちゃうんですね。パターンがありまして、恋愛ドラマでも、いわゆるハリウッド形式じゃないけれど、映画とはこういうものだというのが出来上がっていて、どうも自分はそれが……(気にくわない)。おかしいな、話はいろいろあるんだけどなぁ、と思っていまして。で、田口さんの小説を読んだ時に、一体これはどういう話になるんだろうか?っていうのがあったんですね。追いつめてくうちにアチコチ変な所に行くんだけれども、どこに行っちゃうの? と。で、読み終わった後に、ああそうか、と。まあ結末についてはいろいろあるんでしょうけれども……一緒にどこに行くかわからなままお話を読みながら旅をしていく。行き先は何だかありそうで、でもよくわからない。こういう話が好きだと思ったんですね。それを自分が確認していくというか、読み進む先にはいろんな興味あることが書かれていて、最終的には一つの大きな河の流れに沿ってきたんだなあ、と振り返られるような話ですね。そういう話がまさしく描かれていて。これは自分が映画にしたいな、と。非常に映像化は難しいというのは百も承知で、ま、ちょっと乱暴者になってますんで……(笑)。あの、一見難しいんですが、実際難しかったです(笑)」

Q:すごくセクシーなシ−ンが何度かありましたが、女性の私が観ても非常に当たり前の、映画に必要なシーンだと感じたんですね。監督ご自身が、自分で映画化するに当たってこだわった部分なのではないかと思ったんですが?

■中原俊:「まさしくその点ですね。最初、TVの、BS-iの作品を探していたんです。そこでこの本に行き当たりまして。どうしてもやりたい。やりたいんだけれども、このエロスの部分、彼女のセクシャルな部分はどうしても押さえておきたい。それはTVという環境じゃ無理かもしれない。したがって映画にできないか、というところから話が始まったんですね。僕自身、日活ロマンポルノからデビューしたので、そのロマンポルノ終焉の頃に『存在の耐えられない軽さ』を観まして。こういう映画にロマンポルノも発展していけばいいのになぁ、と思ったことがありまして。これはエロティシズムと同時に中身の深いこともやれる、と。なので、このチャンスを逃してなるものか、というのはありました(笑)。で、企画段階で、どうしてもこの作品は両方、精神的な問題とエロティシズムの問題と両方兼ね備えたカタチでやりたいと思ったんです。もう一方で、ずっと長年映画をやって来まして、女性が観られるエロティックな映画を作れないか、と度々、この15年ぐらいアチラコチラから相談されておりまして、その度にできるんじゃないの、と言いつつなかなか巧いこと機能しなかなかった。だからそういう風に言って頂けると、少しは達成できたかな、と嬉しいです」

Q:市川さんは、このエロチックなシーンが多い役を引き受けるに当たって考えたこと、そしてこの映画のキモになっている「解体」というテーマですが、市川さん自身もこの映画に出たことで、自分の解体になったのではないかと思っているんですが、そういう解体という経験はありましたか?


●市川実和子:「んー。最初に原作を読んだんですよ。で、映画には無いんですけど、新宿の公園の公衆トイレで、中国人らしき人、それも初対面の男と……みたいな『あらま』ってトコがあって(笑)。それがちょっとひっかかってたんですけど……。でもそれよりも何よりも、あたしが原作を読んだ時に、あの世界観、“解体する”って描写を読んで、こんなことを言葉にできる人がいるんだ、と感動したんですね。で、それが映画になるということで監督にお会いして、その後、脚本をいただいて、なにより感動したんですね。やりたいと思っちゃった。だから、(エロチックなシーンは)オマケ?みたいなものかな(一堂笑)と、自分では捉えていて。後は成長したかは観てくださった方のご想像にお任せして……。二つ目の質問、解体……してる最中です。日々、いろんなものがきっかけになると思うんですけどね。ゆっくりと……」

Q:「匂い」というのが原作の重要なキイになっていたと思うんですが……映像に映らないものを見事に表現していましたが……?

■中原俊:「匂いというのは映像に映らないもので、一方で『匂いのする映画』というホメ言葉もあるように映画にとっては非常に便利な表現でありまして、わかりやすく言えばラーメンを食べるシーンでその美味しそうな匂いがするっていうのを目指して撮るワケですね。匂いは人の想像力の中に、視覚的な刺激でもって訴えるという、映像表現にとっては非常にプラスとされる手段なんですね。問題は、これを視覚化するかしないか、ということで。これはプロデューサーからのひとつの大きな決め事、要望で、今回は視覚化してみないかという提案があった。で、このような形で、プロデューサーから与えられた宿題をこなしたと。普段、僕なんかズルイから、あんまりしないんですね。匂いはもうあることにしてるんです。それぞれが感じてしまうんだと。今回はプロデューサーの宿題として視覚化したんです。まあ若干、原作と意味は変えている。原作ではズバリ“死臭”なんですけど、映画では“何か違和感のある匂い”としています。やっぱり匂いの刺激というのは一番直接的に来るんですね。いきなりボオンって回転するみたいな感じで、何でこんな事思いつくんだろうって……。街を歩いていて、何かどっかで嗅いだことのあるって思った瞬間にバッてある幼い頃の記憶を呼び覚ますという力がある。だから今回はそうした匂いの表現が、何かこうキイワードにクロスしてこないかな、という想いはありましたね。視覚的表現の出来不出来についてはまたいろいろあるにしても……(笑)」
Q:脇役に舞台俳優、演劇畑の人が多いようですが、これは意識されて?

■中原俊:「ひとつは僕がお芝居を観るのが好きっていうか、舞台と僕の映画との関係も『櫻の園』から『12人の優しい日本人』という流れの中でもあることなので、もちろん彼らの実力を評価しているというのが、まずはあるんですね。それからもうひとつは、今回のキャスティングをやる時に、よく知名度だとか有名な人を探すけれど、そうではなくて、あった人をさがそうよ、と。これはいつも僕が要求していることなんですけど、なかなかチャンスが無かったんですが、(製作の)佐藤(美由紀)さんらと検討した結果、実力を持っているので必ず出てくるだろうという人も含めてキャスティングした、ということですね。ですから敢えてお芝居の人を選んだということではなくて、キャラクターで選んでいった中で、やっぱり力は必要ですから、必然的にこういう配役になりました。そうは言ってもね、ずっと芝居畑の人ばっかり使っている人間ですので……(笑)」

Q:市川さんは共演の感想は?


●市川実和子:「私は勉強不足であまりお芝居を観ていないんですが……でも、舞台であろうと映画やドラマであろうと、演じる気持ちっていうのは全然変わらないんだろうな、とは思います。芥(正彦)さん、小市(慢太郎)さん、斉藤(歩)さん、3人とも全然違うやり方ですけど、やはり熱いものを持っていらっしゃるし、気持ちは同じなんだなと感じました」

Q:特に芥さん不自然なほどの熱演と、ナチュラルな市川さんの演技が凄く合ってないというか、納得がいかなくて原作を読んだんですが、原作の中でも彼は不自然な人で……。

■中原俊:「というか、まあ、ひとつの考え方として、国貞というのは嘘つきですから。自分に嘘ついてる人間ですから、非常に演劇的なんですね。ま、大学の先生、モノを教える人間は嘘つきが多いんで(笑)、そうすると実際、演劇的なことをやるんですね、彼らは。その癖のあくどさについては、芥さんは超一流なんで、やや行き過ぎた嫌いがあるかもしれませんが、あれでも僕としては一生懸命、自分では自然な方を選んだつもりなんですが(笑)。しかしこれは、僕もそうですが彼も東大ですから、しかもあの三島由紀夫と全共闘側で対談した人で、昔から大天才だったんですね。だから本人自身が表現したかったのはインテリのインチキ性ですね、そういうようなことを言っていましたが、あまりにも違和感があったのなら、ま、笑って許して欲しいですね(笑)。彼は、僕が学校にいた時に、憧れの、というか凄い人がいるなぁと。まあなかなかお目にかかれない、怖くって側にも寄れないような人だったんですね。ところがお芝居を観るようになって知り合いになって、いつか監督になって、この人に説教してみようと思っていて(笑)、これで70年代をやっと乗り越えられたなあ……という気がするんですけどね(笑)。でもリハーサル、彼と一番良くやりましたよね。ユキ(市川さん)と国貞(芥さん)のシーンは、ほとんど座りっきり、台詞だけの芝居で、しかも喋ってることは何だかわからない頓珍漢な難しいこと言っていて、筋が通ってんだか通ってないんだかわからない事を言って保たせてる芝居なんで、非常にある意味では難しいんですね。で、リハーサルでお芝居やってる人は力を発揮するんですね。つまり嫌がらない、何度もやる、やればやるほど喜ぶ(笑)。まあ、シーン毎に同じことをやる努力をする。こういうのはある種の能力なんで、練習しないとできないんですね。いくらやろうと思っても。それは舞台体験というのが、そういう力を強くする。まあ、だからリハーサルやるには格好の相手だと、私は思ってるんですが。ビックリしたと思いますけど、最初は。何この人?って(笑)」

Q:では、やはり芥さんは監督の演技指導に対しては、従順に従ってらした?

■中原俊:「非常に従順で、従順すぎて困るくらい(笑)。もう一つは勉強し過ぎて困る。『いろいろ勉強するからダメになるんだよな、東大生は』って言ったんだけど(笑)。でも向こうは自慢してましたね、『僕は中退したけど、君は卒業したろ』って言い返されました」
Q:その東大で、中原さんは宗教学を専攻されてますよね? この作品ってシャーマニズムがモチーフで、特に映画と違って原作の結末は(テレクラ・援助交際がインターネット・癒し系マンション売春になっただけの)『新手の性風俗カルト、はじめました』みたいなオチなので、結構、男としてはウゲェって思ったんですが、映画は割とスッキリと終わっていました。宗教学の専門教育を受けた人からすると、原作『コンセント』のオカルト描写には誤解があるとか危なっかしいと思ったのではないか? 映画が小説の批評的解釈になっているように感じたんですが?

■中原俊:「いや、たぶん“解体”のつかまえ方が、実はよくわかんないんですよね。田口さんが僕の映画を観て『私の書いたことと違うわね』と思っているかも知れない。後半に至っての(主人公の)精神構造のつかまえ方って、他人の精神構造で考えることはできないんで、自分の中で取り込んで考えていくんですよね。自分の中で考えてて、ある日こう、ちょっとちゃんと並べよう、みたいなことがあるんですね。だから最終的には、すっきりしたカタチというかな、僕自身、前向いて歩くのが好きっていうのがあるんですけど、自分なりに並べてしまっている。だから、どこかでは田口さんの言ってらっしゃる事とは違ってきているかもしれない。ま、これは精神世界ですから、どれくらい違うのか、どのくらい合ってるかは計測できない、みんなが観て判断することだと思います。宗教学については、実は学校には真面目に行ってなくて(笑)。卒論がなかなか書けなくて、4年間専門科にいて、就職しなくちゃいけないって時に、卒論を担当された柳川先生に『君、卒業するならこの卒論でいいけど、残るんだったらダメだよ』と言われまして、『就職しますから出して下さい』とお願いしまして……(笑)。ですから先生には借りがあって、一応これを卒論にしたいと思っています(笑)。先生は天国にいらっしゃいますんで遅くなっちゃいましたが」

Q:確かに原作小説はたぶん女性の共感を呼ぶもので、映画は男性陣にもかなり共感できるような……。

■中原俊:「まあ、やや理屈が通してあるとは思うんですけどね。悪い癖かも……」

Q:いや、原作を越えて間口が広がったと思います。


■中原俊:「ありがとうございます(笑)」
Q:原作、映画共に「ひきこもり」というのがひとつのキイワードになってると思うのですが、監督御自身は、主人公の兄の状態をどう思われますか? また木下ほうかさんへはどういう演技指導をされましたか?

■中原俊:「うーん……ひきこもりの理由はいろいろあると思うんですね、現象としては一つのカタチでも。これはひとつの熟語例であって。部屋があるからひきこもっちゃうんであって、かつては部屋がなかったんでひきこもれなかった。ね? 今は自分の部屋があるからひきこもれる。中身は様々だと思うんです。ま、確実にあるのは人間の作っている社会というものが、どうも信じられなくなる、ということはあって、それが自分に対して上手く機能しているとは思えなくなってくるんで……。そういうような似たような感情というのは自分の中にもあるんです。これは『ひきこもり』の人に比べたらヤワですよってことになるのかもしれないんですけれども。自分も若い頃、いろいろ悩んだりすることがあって、意識的に積極的ひきこもりをやったんですよね。それは『忌みごもり』と言ったんですけど、食糧を買い込んできて下宿の部屋から出ない、一歩も出ないでウチに籠もるんですね。で、欲求不満がいろいろ出てくるのと闘っていくわけですね。ずっと居ることに決めたから居れるまで居ようとする。でも、ま、大体、僕は保って2週間、2週間保つことはよっぽどの場合で、1週間も立つと『映画みたいよー』とか『誰かと喋りたいよー』となって……(笑)。ま、そういうようにして自己治癒みたいなことをする。のと同時に、その間、よからぬことから哲学的なことまで、いろいろ考える。そういう時は本を読むしかないんで、TVは観るとバカになっちゃいましたんで、その頃は(笑)。だからTVはつけない、ラジオと小説で凌ぐ。その程度ですよ、共感できる部分は。だから共感できるのか?ってのはわからない。それから、木下君に演技指導は、してません。木下君は彼なりのお兄さんのイメージがあったんだと思います。彼自身はいろいろと計画してて、絶食をして痩せたり、後半では顔色を良くしたり……肉体的な改造をしていました。不思議に思ったのは、お兄さんとして出てくる時に、割と動かない。で、『動かないんですか』と訊いたら『ええ、動かないんですよ』と(笑)。もうひとつ面白いのは、木下ほうかさんは全くイメージだけでいろんな候補の中から決めたんですが、ランディさんが最初に来て言ったのが、『お兄ちゃん、ほうかさんに似てるのよ』と。非常に驚きましたけどね、全然知らないのに。それは何かこの作品のラッキーさの、ひとつの現れかな、と。いいお兄ちゃんが助けてくれたのかな、と。答えになってるのかよくわかんないや(笑)」
Q:市川さんに。映画の中で、ユキが一種のシャーマン的な役割を担っていることが発覚した時に、市川さんの雰囲気とシャーマンのイメージが、凄くリンクしたんです。市川さんがユキを演じる時、役作りといいますか、どういったことを心がけていましたか?

●市川実和子:「ハイ……うーん、と。何を考えてたんでしょうね(笑)。最初、めんくらったんですよ、年齢設定も私より4つ5つ上のだったし。ま、私は割と開き直るのが早いので、どうにかなるかな(笑)、と思ってやりました。う〜ん、何を心がけていたのかな? なんかね、最初はいろいろ勉強してみたんです。ユキの職業や心理学、シャーマニズム……もともと嫌いな方ではなかったんで、もうちょっといろいろ調べてみたんですけど、結局、わかんなかったんですよ。もう身体で感じるままにやるしかないんだな、と。映画自体も身体でしか理解できないような気がするので……。だから、ある意味、神さまに任せていました。なので、何も考えてなかったのかもしれません(笑)」

Q:じゃあ、きっと、もともと持っている資質に、シャーマン的なものがあるのかも?

●市川実和子:「そうですね……。私、頭で考えることを信用してないんで。『動物のようだ』と言われて育ってきたんで……(笑)。そういうものなんだと思ってます」

■中原俊:「役者さんってもともとそういう資質があるんですよ。単純に言うと、何かの役になりきったりするわけじゃない? うん、現代の役者さんも大半はシャーマンに近いんですよ。やってる作業もそうなんですよ、何かの役割を演じて人を感化することだから。どちらかといったらそりゃシャーマンですよ、見習いかもしれないけれど(笑)。過去にはそういう人達(ワザオギ=俳優)がお祭りの場だとかで演劇的な踊りをやってたのが、今はドラマだとかが代替している、およそ人前で何かする人はシャーマンと言えるかも(笑)」

Q:市川さんに。今回の撮影で、幽霊と話したり、列車を避けたりとかするじゃないですか。あれは後からの合成で、実際一人で演技するのって恥ずかしかったり大変だったりすると思うんですよ。何か苦労したことなどあれば教えて下さい。

●市川実和子:「そうですね、無いモノを見るのは難しいですね(笑)。それより吊られるところが……」

■中原俊:「ああ空中遊泳のシーンね、痛かった?」

●市川実和子:「あれはねぇ、痛かったというか、自分の筋力の無さにびっくりしました。街を歩いててそのまま空中浮遊するシーンで。青い服でグリーンバックで空中浮遊するんですけど、ワイヤーで腰から吊られて……『背筋が曲がってる!』『アレ〜? でもこうなっちゃうよぉ』って。まあ見えないものを観ているっていうのは、みんなやっていて、映画の中では後で合わせてるので、そういう風に見えるというのはお客さんの想像力のおかげなので、それはありがたいな、と思う今日この頃です(笑)」

■中原俊:「映画だと例えばカットバックで撮るじゃないですか。その時、いつも相手役がいるワケじゃないんでね、一人で、相手がいるはずのつもりでやるカット割りもあるから。昔はほとんど有名な俳優さんは先撮っちゃって、先にお帰り下さい、と。後から相手役の俳優さんが、幽霊がいるようなつもりで演じてるんだよね。まあ観るのは楽だということで(笑)。でも(空中を)泳ぐのはさすがに大変かもしれないけど(笑)」
Q:原作は、家族というものに対する恨みと愛情とに引き裂かれている主人公の物語という面が重要だったと思うんですが、これはちょっと語弊があるかもしれないんですが、映画ではその恨みが薄まっているように感じられたんですが……。これは敢えて抑えているのでしょうか?

■中原俊:「いや、それは非常に重要な事とは捉えていまして、ですから回想シーン、あの田舎のシーンは外せないというのがあって。いま一つは父親の存在、父親に対する恨みみたいなもの、それが国貞先生に転化していって、ユキは国貞先生の中にある種の別の知性を見つけて、繕おうとしていったのだけど、そっち(父親の存在)の方がもっと大きな悩みだった、ということを何となく感じるんですね。まあ、原作の方では、兄と父親というのがもう少し色濃く出てると思うんですが……。まあ、どちらかといったら、こりゃまあ少し、自分の家族に対する恨みの弱さというのがあるかもしれないですね。少しソフトになっているかもしれないですね。しかし、構造としては非常に重要だと意味では、入れてあるんですね。まあ“憎しみ”というようなものを、直接表現するのは、どうも、好かんのですな……(笑)。父親役の夏八木勲さんには『嫌な人間になってよ』っていうことはずっと言ってるんです。ユキの父親が生まれてから今に至るまでの履歴書つくって渡して……」

Q:役柄メモのようなもの?

■中原俊:「そうそう、いかに自分が酷いことやってきたかという履歴書を渡して、それを元に話をして……。しかし現実の中では、今でもヤだっていう態度をとってるのも、生きた人間としてはつまんない。だから表現としてはそう強いシーンはなかったですが、僕の頭の中ではそういうことは踏まえていました。逆に言うと、父娘が街で一緒に歩いたりね、そこでプラスの部分、というか仲いいというか、通じてる部分が強調されちゃったのかも知れないですね。そういう離れられない嫌らしさと、僕自身がもう既にこの話の中では、そこから脱却していく話なんで、後半、薄れてっちゃったかもしれないですね。(列車に)飛び込もうとした母親の方に転化しちゃうんでね、後半の解体の過程で。そこで前半の嫌さ、というのが薄れてしまうのかもね。まあ夏八木さん自身が二枚目だからしょうがないのかもしれない(笑)」
Q:お二人の家族観は? 田口さんの原作ほどディープではない?

■中原俊:「そうですね。そういうことは影響しているかもね。自然と(無意識に)。僕にとっての家族というものに対する、感覚的な嫌悪感というものは、薄いのかも知れない」

Q:それを敢えて描くという……。

■中原俊:「それはお話としては凄く重要なので。要するに、彼女の悩み----これは精神的に悩んでいるということよりは、逆に逃げるための手は既に打っておいて、それでドツボにはまってる現状。つまり逆に言うと現実的な性的願望に答えを求めてる、これは父親の影響というのがかなりあるワケでね。で、父親に対抗する兄貴、父親のアンチである兄もまた、死んでゆく、父の言う『ダメな人間』になっていく。そういう全体としてのダメな人間というイメージから逃げようとしているユキというのが、ここまでのユキを作ってきているワケで……。それに対して、ひとつの、これはお兄さんのメッセージというのかどうかわからないけれども、兄が遺してくれたものでもの凄く成長するという話で[?聞き取れないので推測]、そういう描き方は、はじめからしています」

Q:市川さんにとっての家族観というのは?

●市川実和子:「んー。私自身は割と早く家族から独立しちゃってたんで[?聞き取れないので推測]……何も……私ももしかしたら家族に対する認識っていうのは薄いかも知れない。でもやっぱり、10代後半の頃の家族に対する、そういう恨み?というか、小さい頃に泣かされたりしてたこととか……そういうものしか無かったんで、それをふくらますしかできない……想像の世界で」

Q:にもかかわらず、というのは、先程、観終わった時のヘンな爽快感を強調してたのは、映画自体が“コンセント”の役割を果たしてて、何かを与えられたんだなと思いました。ありがとうございました。

■中原俊:「フフフ。大きなとりひきだな(笑)。ま、原作の映画化なんですけれども、かなり忠実に前半戦は原作と並んでいるんですが、要するに扱っている問題が微妙な心の中身、彼女の中の心理活劇ですか、心の中の問題なんで、どうしても自分の、僕の心の中を使ってやったという……。自分でもわかんないんですね、どこが田口さんの分で、どこを僕がパクっているのか、どこを勝手に自分で起こしているのか……。たぶん僕の心の中で起こっているものになってるんでしょう、田口さんから観れば、もっと明解に答えが出ると思いますけどね。『あそこはアタシじゃない、監督のよ』とかね(笑)。そんなようなことで……たぶん父親の押さえはあの通りです。ただ僕は父親はもう死んじゃってるんで、あんまり憎しみを感じてないんで……」
Q:衣装についてお伺いしたいですけど。前半、割とキャリアウーマン風の地味なファッションで、後半の解体後はブルーのワンピース、ラストシーンの花柄のワンピース、特に後半の衣装が印象に残るんですけれども。衣装についてはこれは監督の意向が入っているのでしょうか?

■中原俊:「これは小川久美さんというベテランの衣装さんに。僕は初めて組んだんですけれども、個人的には知ってまして。彼女は市川さんを見て『原色が使える』と思ったらしいのね。『原色は何にしようかな、グリーンかな、ブルーかな』と。それは普通の人は着こなせないのか?と訊くと『彼女だから着せられる』と。ということで、どうしてもブルーの衣装を着せたい、それに対して逆算して職業柄や、彼女の心理過程を表現していって……。一番精神の動いている時の衣装にしよう、じゃあそれの反対は何? という、そんな見方。つまり、彼女が解体して脱却した感じというのが衣装で表現されてるワケですね。これぞまさしく……彼女に似合うかな、似合ったものを着せるという衣装担当の意向ですね。しかしまぁ市川さんじゃなかったら、あのブルーの衣装は使わない。似合わないよね。そう思いません?(と、市川さんに)。市川さんは最初に小川さんチに呼ばれていって、いろんな原色の衣装をバタバタバタって出されたんだよね……。映画の場合、全てのパートパートがひとつの作家ですから。もうなるべくまかせちゃう」

Q:市川さん自身は、モデルとしての経験から、今回の衣装は?

●市川実和子:「やはり私が着ていて気持ちの良くない服は嫌だ、というのはあったんで。話し合って……でも凄いんですよね、映画の衣装って。モデルの時は平面だけが綺麗に撮れればいいんで、モデルの時には体験し得ない経験ですよね。……ブルーの衣装はお気に入りです」

■中原俊:「最初は嫌がってなかった?」

●市川実和子:「ええ、そんなことないですよ」

■中原俊:「そっか。嫌がってんじゃないかなと思ってた(笑)。いや現代的な格好いい感じの衣装でもないんで……ちょっと古るっぽい……」

●市川実和子:「今、戻ってきてるんですよ(流行が)」

■中原俊:「あーそうか。オジサンは……(笑)。でも逆にいーか、普通にやってりゃいいのか、俺は(笑)。でもま、そういうのを最終的に打ち合わせて並べて、トータルな流れをつくってったんだよね。あのブルーの衣装は一番最後の場面だったんだよね」

●市川実和子:「私はでもやっぱり衣装に助けられるところがありました」

■中原俊:「衣装を使ってるんですよ(笑)」

●市川実和子:「いや助けられてるんですって」
Q:今回ハイビジョンを使っての撮影は、これまでのフィルムでの撮影とどう違うんでしょうか?

■中原俊:「ハイビジョンというのは現場的にはビデオと変わんないんですね。もちろんフィルムとビデオというのは少し違うんですが、僕は両方で撮ってますんで、特にハイビジョンだから……ということは何もなかった。通常のビデオの撮影と同じです。で、その後のフィルムに焼き付ける行程で、いろいろな試行錯誤があった。もうひとつは、先程お話ししましたとおり、最初にTV用のドラマ、BS-iの方から話があって、しかもそれを僕が映画にしようということで映画になった。つまりこれはハイビジョンだから映画にしようということが成立するんですね。同時に24pというのが出来上がっていて、そのことに非常に興味がある。それで、TVと映画という、一時期非常に仲の悪い、兄弟喧嘩みたいなのになってたんですが、それが今もう一度、戻ると。そういうこともあってハイビジョンという非常に画期的な、この話にぴったり合っている技術だと思ったんですね。映画とTV、ま、どっちがアレかというと、映画がお兄ちゃんだろうな……(笑)」

Q:試写を観させていただいたんですが、非常にフィルムに近い質感でした。これはBS-iで放映されるものとは違うんですか?

■中原俊:「画質は全然違います。BS-iはハイビジョンの放送。それからもうひとつ、これはみなさんどこかで観る機会があるかと思いますが、映画版のハイビジョンもあるわけです。フィルムに変換する前の素材を使ったもので、DLP上映というんですが。ですから今回の映画は3パターンある。今後はますますこういうことが増えるでしょう。いろんな画質のものがいろんなカタチで……。あのハイビジョンからフィルムに焼き付ける行程でも、いろんな変化がつけられるんですね。決定版は無くなっちゃうかもしれないね……元の『コンセント』はどれなんですか?っていうのが難しくなるね。これからどういう時代になるか?だね」

司会:そろそろお時間ですのでこれで会見は終了させていただきます。先程話のあったBS-i版の放映ですが、こちらは「ディレクターズカット版」と名付けられておりますが、通常のディレクターズカット版、完全版という意味でのディレクターズカット版ではございません。BS-i版の方が、映画本編より9分ほど短いヴァージョンになっています。いわばTVのための監督自らの編集による完全版というのがBS-iのディレクターズカット版『コンセント』となります。作品のテイストとしては、よりユキの成長物語に焦点が置かれた作品になっていますので、機会がありましたら是非ご覧頂ければと思います。本日はありがとうございました。

Text:梶浦秀麿
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