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銃声が響く。森の中、二匹の白い鼠(モルモット?)がカラスに狙われている。動物を擬人化した子供向けアニメのように、そのカラスを撃退する賢い二匹。と、二匹の前に足がある。男が横たわっているのだ。「後悔してますか?」と裁判所に入るライラ(パトリシア・アークエット)を報道が追いかけて問い、議会で証言する紳士然としたパフ(リス・エヴァンス)がいて、真っ白い部屋でオデコに弾痕をつけたネイサン(ティム・ロビンス)が「後悔? 後悔の意味を忘れた……」と戸惑いつつ語り始める……いったい何があったのか? このヘンテコな物語は、以上の三人それぞれの、ある意味「波乱に満ちた人生」について、交互に迫ってゆく。
ライラは語る。12歳の少女の胸にホルモン異常で毛が生え始め、「結婚は無理ね」と母が言う。成長するにつれ毛むくじゃらになるライラは、見世物興行の世界へ。小人と組んでクイーンコング役を演じたりするのだが、虚しさは増すばかり。ついに人間社会を離れ、森の奥での生活を選ぶ。裸で暮らし、嵐で死にかけたりするうち、大自然の中で生きることの素晴らしさを知った(時には神に感謝する歌を歌いだしたりなんかして!)彼女。その自然生活を書いた『ファック・ヒューマニティ』が大ヒットし、ネイチャーライティングのベストセラー作家となる。だが、悠々自適に森での生活を送る彼女を30歳にして襲ったのは、「男が欲しい」という抑えがたい欲望だった。印税で稼いだお金をつぎ込んでエステで全身脱毛に通いつつ、紹介してもらった男が、35歳にして童貞のド近眼で極小ペニスの心理学者、ネイサンだった。ネイサンは優しい男だったが、異様なまでにテーブル・マナーにうるさい厳格な親(というか母)の元で養子として育てられたことがトラウマとなり、今は鼠にテーブル・マナーを学習させる研究に没頭していた。ズレを感じつつも恋人同士となった二人は、ある日、森にハイキングに出掛け、そこで自然に裸でいる男を見つける。ライラは直感的に服を脱いで追いかけ、木の上で接近するが、興奮した男はオナニーに夢中になって木から落ち、気絶してしまう。ネイサンは彼を連れ帰って研究対象にすることに。ネイサンの助手で、何故かフランス訛りの美女ガブリエル(ミランダ・オットー)に「パフ」と名付けられた彼は、ケネディ暗殺にショックを受け人間世界を捨てた父に、森の中で育てられた野生児だった。ネイサンはパフに言葉から教養、礼儀作法までを教え込むことで自らの知性化研究を完成させようとする。電気ショックで脅かされつつテーブル・マナーを学ぶパフは、ついには『白鯨』を読み、哲学議論を交わすような紳士にまでに成長(?)する。だが“ヤリたい”という欲求だけはなかなか制御できず、女を見ては欲情してしまって手痛い罰を受け続けるのだった。ライラはパフを気の毒に思いつつも、夫となったネイサンを立ててあげようと努力する。しかし助手ガブリエルの虜になってしまったネイサンは、結局ライラを捨ててしまうのだった。教化されインテリジェンス溢れる紳士となったパフを連れて、研究発表講演ツアーに出るネイサンとガブリエル。旅先のホテルの隣室で二人がセックスに励むのを聞きながら、悩ましく耳を塞ぐパフ。しかしライラも逆襲に出る。永久脱毛を施し、研究所を襲ってパフを奪い、森の奥へ連れていったのだ。パフを類人猿に戻す再教育(再々教育?)を施し、自然に愛し合うことも教えて、つがいの猿として生きてゆくことに喜びを覚えるライラ。だがガブリエルとの生活や、弟(またしても養子)を猫可愛がりする母(マナーについても何も言わない!)に疑念が生じたネイサンが、「僕も類人猿にしてくれ」と森にやってくる。口論の末、一発の銃声が! 殺人罪で投獄されたライラのために、身だしなみを整えて議会で訴えるパフ。堂々たる人間社会批判、文明批判を終え、再び自然に還ってゆくのだが……。 ヘンテコな現代の寓話を描かせたらサイコーな映画脚本家、『マルコヴィッチの穴』のチャーリー・カウフマンの新作である。『マルコヴィッチの穴』での監督スパイク・ジョーンズは製作に回り、ビョークのミュージッククリップ「Human
Behavior」で一躍MTV界の寵児となったミシェル・ゴンドリーが監督。彼の劇場映画デビュー作である。『マルコヴィッチの穴』よりずっと律儀にベタで丁寧なSF的思考実験を行った感のある、シニカルでブラックなメタ・コメディ映画に仕上がっていると思う。ま、なるべく予備知識なしで、このちょっと不思議な世界を存分に味わって欲しいってのが正直なところ。以下は蛇足だ。 |