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インド某所、砂漠地帯の古い遺跡近くに豪邸を構える高名な古典声楽家、パンディート・ダルバール(ヴィクラム・ゴーカレー)には、18歳になるナンディニ(アイシュワリヤー・ラーイ)という娘がいた。灯火祭の日、プ−ルのある中庭では一族が集ってターバン巻きレースに興じ、一族の長であるパンディートは「いい大人が……」と苦笑する。今日はイタリアからインド音楽を学びに来る男が到着する日だ。客人に最も眺めのいい部屋を与えようと、娘に部屋を空けるように言ったのに、ナンディニは姿をくらましてる。彼女は一人で遊牧民達と戯れ、その美しさ、天真爛漫さを讃える歌を捧げられていた。戻ったところを父に捕まって、しぶしぶ部屋を片づける彼女だが、「きっとすぐに追い出してやる」と心に誓う。砂漠を彷徨い、やっとの思いで辿り着いた青年サミル(サルマーン・カーン)は、だが陽気で逞しいハンサムな若者だった。父に歌を披露し、「素晴らしい。声もいいが、魂がこもっている」と弟子入りを許されるサミルに、最初はイジワルし続けるナンディニだったが、次第に彼に惹かれてゆく……。従姉妹アンヌの婚礼の日。愛し合っていた男と別れ、父の決めた男と結婚する従姉妹の気持ちをよそに、宴会はたいへんな盛り上がりを見せ、その場にいた有能な弁護士の息子で、気の優しい青年弁護士ヴァンラジ(アジャイ・デーウガン)は、祝賀の踊りで美しく盛装したナンディニの姿に釘付けになる。正式な手続きに則り、婚礼を申し込んだ彼に、パンディートは歌を歌わせ、「音痴だが誠実さがある」と結婚を認めるのだった。ところがしばらくしてアンヌが夫の暴力に耐えきれず逃げ出してくる。彼女の駆け落ちに協力するサミルとナンディニだったが、凧揚げの祭りの日に、二人で抱き合っているところをパンディートに見つかってしまう。父は「家の恥だ」と歌を捨てることを誓い、「もはや弟子はとれない」とサミルを追い返してしまうのだった。出奔するサミルをバルコニーから見送るしかないナンディニは、絶望のあまり自殺未遂騒ぎを起こすのだが、家のためと諦めてヴァンラジの元へ嫁いでいく。無表情に沈みがちな彼女に、夫もその家族も優しく接するのだが、彼女の心は頑なだった。ある日、その想いを偶然知ってしまったヴァンラジは激しく動揺する。だが、彼は父の許しを得て、ナンディニを連れてイタリアに向かう。サミルとナンディニを引き合わせるために……。手がかりは音楽家であることだけ。夫婦でありながら抱き合うこともない二人の奇妙な捜索の旅は、幾たびかのすれ違いを経て、ついにサミルとの再会をもたらすのだが……。
94年度のミス・ワールド、『ザ・デュオ』『ジーンズ/世界は2人のために』のアイシュワリヤー・ラーイ主演の怒濤のラブ・ストーリー。父の反対で愛する男と別れ、別の男と結婚したヒロインが、その夫の助力を得て遠いイタリアまで男を追いかけてゆくっていう恋愛ドラマなんだけど、例によってド派手なミュージカル・シーンを満載し、細かいギャグも散りばめて展開する、まさに王道を行くインド映画だ。インドで最も権威のある「2000年フィルムフェア賞」で5部門(作品賞、監督賞、主演女優賞、音楽賞、ベストシンガー賞)を受賞。ベルリン国際映画祭など各国の映画祭でも絶賛され、東京国際ファンタスティック映画祭2000に正式参加。さらに日印国交樹立5O周年記念作品……という大層な肩書きがいろいろ付くんだけど、観てみればもう典型的な大河インド恋愛ドラマ。くすぐりのコメディ・タッチを含んだ前半は、要所要所で男女の出会いのロマンチックなドラマを大マジに盛り上げ、後半は「イタリアのインド人観光カップル」による「元カレ」捜索行を、すれ違いのドラマをしつこいくらい繰り返すスタイルで展開。ついには「本当の愛とは何か?」ってな大問題に辿り着く。陽気なインド系イタリア人(美声のハンサム・マッチョマン)と地元の誠実な青年弁護士(音痴でいつもすまなそうな顔のズングリムックリ)、美貌のヒロインは、さてどちらを選ぶべきか?ってな愛の選択劇は、喩えれば「酸っぱいレモン=ミモラ」風味----ってワケで、このタイトルなのね……。 『ムトゥ/踊るマハラジャ』(95→98年6月日本公開)の記録的ロングラン・ヒット以来、「娯楽要素テンコ盛り」ってなインド映画の認知度は格段にアップしたと思うんだけど、慣れというのは恐ろしいもので(笑)、「歌と踊りがこってりたっぷり入ってドラマもわかりやすくしっかり3時間以上ある」ってな異形の映画に対する、カルチャーショックじみた衝撃的な笑いや驚きの効果は薄れつつある。また「映画大国」インドの作り手側の方もソフィスケートされてきて、よくも悪くも「世界標準」に近づきつつあるようである。そんな過渡期とも思われるこの映画。昔の日本の大衆映画めいた泥臭い懐かしさからは若干抜け出して、あか抜けた昼メロ・レヴェルになってはいるんだけど……。例えば、声を聞いて相手の人柄を診る師弟モノの神妙な感じとか、好きな人と結婚できないパターンが2度繰り返される劇構造とか、「ミモラ」や「七つの海を越える」なんて睦言に含まれるキイワードが現実化する予言的展開とか、あるいは青年が亡き父のいる空の上に向かって大声で愚痴などを訴え、それに一々雷鳴が応えるシーンの多用(まるでゼウスとヘラクレスの英雄神話のようだ)だとか、「相手の幸せこそが自分の幸せ」って教訓譚めいた感じ……などなどは、運命的・神話的なスケールのでかい英雄譚的な恋愛劇を思わせるのだ。けれど、かと思えば、唐辛子イッキさせられて苦しんだり、おならプープー大笑いなんて小ネタが満載だったり、妙にリアルなイタリア・ロケ描写があったり(そういや音楽学校での人違いギャグにどう笑えというのか?)と、壮大なのかチャチなのか、その何ともいえないスケール感のチグハグさ、捉えがたさってのは過去のインド映画の伝統をしっかり継いではいる。まあその違和感が面白くもあるんだけど、劇映画として評価するのはちょっと辛いかな。ただしミュージカル・シーンの絢爛豪華さ、斬新さは数年でぐっと進化していて、この映画での往年のハリウッド・ミュージカル映画も太刀打ちできないほど素晴らしい。この夢のような歌と踊りのシーンだけでも観る価値はあると思う僕なのだった。結婚式の祝宴での真俯瞰ショットを多用した素速いカット割りの美しさ、凧上げシーンでの群舞を俯瞰で捉えたり、夜の神殿(?)での自在なライトアップなどオープンセットでの映像の凄さ、スペクタクルな発想での映像テクを追求しまくった上で、色とりどりのサリーをまとって登場する美貌のヒロイン、アイシュワリヤー・ラーイの艶やかな魅力を、もうなめるように画面に収めようとする執念まで感じてしまって、ちょっとボーッと見とれてしまうほど。あ、女性陣には、筋肉隆々の上半身をみせまくる陽気なハンサム青年を演じたサルマーン・カーンと、切ない表情で誠実な男ぶりをアピールしたアジャイ・デーウガンという二人の男優の「いいひと対決」も見モノだと言っておこう。典型的な悪者が出てこないってのもインド映画としては珍しいのかも(あ、とってつけたようなカップル強盗がイタリア編で出てくるけどさ)。 Text:梶浦秀麿 Copyright (c) 2001 UNZIP |