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“トレンチコートマフィア”事件(コロンバイン高校銃撃事件)を追跡調査!
「電波」式アポ無し取材でわかった「お笑い“銃社会”アメリカ」論の決定版!! 【STORY】 全米ライフル協会(NRA)のプロモ・フィルムから、この映画は始まる。「'99年4月20日、いつもと同じ朝、アメリカ合衆国の人々はそれぞれの仕事に励み、大統領は国民が名前さえ知らない国に爆弾を落とし、コロラド州の小さな町では2人の少年が朝6時からボウリングに興じていた…」ってなナレーション。んで我らがマイケル・ムーアは唐突にミシガン州のノース・カントリー銀行の支店で口座を開く。ここで口座を開くと銃を景品としてプレゼントしてくれるのだ。地下金庫に500挺のライフル銃。法的にも問題無し。申請書類の項目に「人種」欄を見つけて「コケイジャン(白人)でいいのかな」とか、「犯罪歴の有無、ふむふむ普通の精神障害なら大丈夫なわけだ」とか「銀行で銃を配ってて危なくない?」なんて軽口を叩きながら、あっさり銃をゲットする。続いて画面は古き良きボウリングPRフィルムや子供の戦争ごっこ、マルクス社の模造銃の広告や漫才なんかを流しつつ、マイケル・ムーアの子供時代の話――彼の出身地ヘストンのあるミシガン州は「銃愛好家の故郷」で、彼も子供の頃から銃に親しむ環境で育ち、少年時代には射撃大会で優勝したりしたとか。NRAの長年の会員でもあり、そのNRA会長チャールトン・ヘストンもマイケル・ムーア同様、ミシガンで成長したらしい(生まれはイリノイ州エヴァンストンだけど)。んでムーアはまずミシガン・ミリシア(市民軍、ボランティア自警団)の、赤ん坊連れの射撃練習を取材したり、ついでに地元で無農薬有機栽培の大豆(トーフ用)農家を営むジェームズ・デッカー(子供19人を含む死者168人、500人以上負傷の95年のオクラホマシティ連邦ビル爆破テロ事件の犯人の一人であるテリー・ニコルズの兄、もちろん市民武装派)にインタビューしたりする。合衆国憲法修正第2条=「規律ある民兵(ミリシア)は自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保持し、また武装する権利は、これを侵してはならない」ってのが、彼ら銃規制反対派の言い分の根拠だ。枕元に44マグナムを常備するジェームズは、「異常者がいるからな」云々と言いながら、健康食品=豆腐を作ってるわけだ…。こうしてムーアはじわじわとある事件の背景に迫っていく。 1999年4月20日の朝6時からボウリングに興じていたコロラド州リトルトンのコロンバイン高校の生徒エリック・ハリス(18)とディラン・クレボールド(17)は、その後、黒いトレンチコートを着て高校に出かけていきなり銃を乱射、12人の生徒と1人の教師を殺害したのち、自殺した。コロンバイン高校銃撃事件、別名トレンチコートマフィア事件である。その1時間前に「アメリカは旧ユーゴスラビアのコソボへの最大規模の空爆を行なった(結果、5000人の民間人が死亡した)」と誇らし気に記者発表したクリントン大統領は、同じ日に未成年の銃乱射事件について悲しげな表情でコメントを述べることになるとは、思ってもみなかったはずだ。さて、何が問題なのか? 映画やTV、ビデオゲームにおけるバイオレンスの氾濫が悪い? いや家庭崩壊の産物だ、いやいや高い失業率が原因、そもそもアメリカが建国以来辿ってきた暴力的歴史のせいなのだ、などとマスコミは分析。犯人が聴いていたという理由でマリリン・マンソンのライブはコロラド州で禁止された。 しかし本当にそれらが「銃犯罪の真の原因」なのか? フランスでも過激なハリウッド映画が大人気だし、暴力的なTVゲームは日本の方がよほど進んでいる。失業率はカナダの方がはるかに高いし、家庭崩壊はイギリスの方が酷い、しかも暴力的な歴史をもっている。なのになぜアメリカだけ銃犯罪が突出しているのか? コソボの5000人を虐殺した大統領が悪いと何故誰も言わない? あるいは犯人が犯行前に遊んでいたボウリングこそが原因かもしれないじゃないか!――そうムーアは問う。「一度失敗したらもうその後の人生は終わりだって思わされていた」と語る『サウス・パーク』の原作者マット・ストーンはコロンバイン出身だ。「犯人のエリックとディランもそうだろうな」。運動部こそが華で、それ以外は負け犬って学園生活。彼にはアニメがあり、犯人2人には銃しかなかったのか…。「子供の頃、音楽は救いだった」というマリリン・マンソンは、「簡単だからね、俺を犯人にしたら」と冷静にコメントする。問題は恐怖心を煽るメディアにこそあるって立場だ。 犯人と同じような境遇の不良クンや、同じボウリング・クラスにいた生徒達、犠牲者の親にもマイクを向けるムーア。さらにリトルトンの5000人の雇用を支える巨大航空(軍需)産業ロッキード社の周辺を取材し、第二次大戦後のアメリカの外国への軍事介入事例を年表式に紹介(「9.11」で締め括る!)。さらに『サウス・パーク』調のアニメ『米国史』で、先住民虐殺や黒人虐待とその報復を恐れるかのような銃の発達ってな歴史をおさらいした後、ロスに出ばって、何故か犯人はいつも黒人って設定のセミ・ドキュメンタリーTV『今日の犯罪"The Cops"』にツッコミを入れ、はたまたカナダに渡って『隣の晩ごはん』ごっこを敢行する。鍵も閉めないカナダ住民はもちろんアメリカ人のようにいきなり銃で撃つことも「フリーズ!」と叫ぶこともなく、フレンドリーにムーアを迎え、ここに至ってアメリカ人の「他者恐怖症」が際立つことになる。さらには事件被害者の車椅子青年達と、犯人が銃弾を買ったというKマートの本社に突撃訪問。わざわざ買ってきた弾を「返品」して、翌日には「90日以内にKマートでの弾薬の段階的販売中止を行う」との回答を勝ち取ったりもする。そしてついに、事件後も挑発的に(?)ガン・ショー(銃の展示即売集会)を行うNRAの会長チャールトン・ヘストンのビバリーヒルズの豪邸へ。修正第2条を持ち出したりした挙げ句に「アメリカにはいろんな人種がいるからな」云々とポロリと言っちゃうヘストン。話の途中で逃げるように退室してしまったため、しかたなくミシガン州フリントで起きた最年少銃犯罪=6歳の少年が射殺した犠牲者の6歳の少女の写真を、庭の柱に残して去るムーアであった… 。 【REVIEW】 とにかく必見!の「電波少年」的アポなしお笑いアプローチによる「銃社会」アメリカ論、である。まあ「電波」がこーゆー社会派な事やろうとすると、スポンサー企業や国を恐れるTV局上層部がすぐさまストップをかけるんだろうなー…とか思いながら観た。際どいユーモアで笑わせながら、随所で報道フィルムやデータを提示、アニメも混ぜたりしつつ緩急織りまぜて観客を飽きさせないまま、鋭いところにもってゆく。結論が出るわけではないが、僕らはなんとなくまとまった「ある感慨」を与えてもらうことになる。今、一番よくできたドキュメンタリー映画だと思う。ちなみに週刊文春2/6号の映画欄「シネマチャート」では、5名全員が満点の☆☆☆ってな珍しい事態になってたり(数年ぶりとか)。 監督・主演のマイケル・ムーアってば、熊男もといトトロ体型の大男で、ボサ髪を野球帽に隠したヒゲ面、ネルシャツにジャンパー羽織って、下はジーンズにスニーカーってな典型的ブルーカラー・スタイルがトレードマーク。地元フリントのGMの工場が閉鎖するってんでカメラ担いでGM社のロジャー・スミス会長を追っかけまわした記録映画『ロジャー&ミー』で89年にデビュー、以後TV界で活躍(それまでは地元紙の編集長10年やって西海岸にちょこっと出ばってから帰郷していた)。99〜00年に製作したTVシリーズ「Awful Truth(恐るべき真実―っていうか意訳すれば「本当にあった怖〜い話」?)」が本作のネタ元とか。ジョン・キャンディ三部作(?)の完結編(というか遺作)『ジョン・キャンディの大進撃』(94)の脚本・監督もしていて、こちらは大統領の支持率と軍事予算の獲得のための、カナダを仮想敵国とするプロパガンダにジョン・キャンディ演じる保安官がのっかって…てなシニカル・コメディだから、本作のカナダ・ネタとか『サウス・パーク無修正完全版』とかと比べてみるのも面白いかも。あ、ナイキの社長を『ズーランダー』の悪役扱いにして追っかけた真面目な(?)ドキュ映画『ザ・ビッグ・ワン』(97)ってのも撮ってるらしい(日本未公開)。なお彼の書いた、ブッシュJr.現大統領を標的にしたテリー伊藤もどきの「お笑いブッシュ」本、『アホでマヌケなアメリカ白人』(柏書房)も大好評発売中なので読んでみて欲しい。 さて。本作には有名無名の人物が多数出てくるのだが、マット・ストーンやマリリン・マンソン(彼がクレバーなアーティストに見えるのも本作の美点のひとつだが)を差し置いて主役級(ないしラスボス的)に登場するのが古い映画ファンなら誰でも知ってるチャールトン・ヘストン様、である。若い人向けに彼の主な出演作を挙げておく。『十戒』『大いなる西部』『ベン・ハー』『華麗なる激情』『猿の惑星』『ジュリアス・シーザー』『続・猿の惑星』『アントニーとクレオパトラ』『ハイジャック』『野生の叫び』『ソイレント・グリーン』『エアポート'75』『大地震』『ミッドウェイ』『大いなる決闘』『王子と乞食』『原子力潜水艦浮上せず』『クライシス2050』『マウス・オブ・マッドネス』『トゥルーライズ 』『ハムレット(96年版)』『エニイ・ギブン・サンデー』『フォルテ』『PLANET OF THE APES/猿の惑星』などなど。『アルマゲドン』やアニメ『ヘラクレス』や『キャッツ&ドッグス』ではナレーションや声の出演もしている。観た事のある映画があったら、それを想起しつつ本作を観れば、ヘストン様が体現する「アメリカ白人魂」をより深く味わえるはず。知らないとタダの右寄り老人にしか見えないってのも、本作の残酷なところだ。 以下、余談。1994年に邦訳の出たピート・ハミル『アメリカ・ライフル協会を撃て』(集英社)ってのがあるが、日本でも全米ライフル協会(NRA)というと「アメリカ最大の圧力団体」みたいに思われて来たフシがあるので、ここまで突っ込めただけでも大手柄って気分だ。両論併記ってスタイルに整えようとした気配もあるのだが、どう考えてもNRAサイドの見解=「銃規制は絶対反対」に大賛成!なんて気分にはならないはず。「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」ってのがNRAスローガンなんだけど、「特にアメリカ人がアメリカ人を殺すのだ、もっと言えばアメリカン・コケイジャンがそれ以外の人種を…」ってことになるのが問題なワケで…。それが観客のなんとなくまとまった「ある感慨」を形作るんだけど、さて、で…?って話だ。映画を観て「白人系アメリカ人の無意識に刷り込まれている恐怖心」ってのが異常にくっきり浮かんできた時、その「呪い」にも似た強迫観念に対して処方箋はあるのか? これが難しい。国民性そのものを脱洗脳しなくちゃ!ってことなんだから。日本の保守的な知識人は、アメリカ留学時にその「恐怖症」に感染したのかもしれないし(小林秀雄や江藤淳を筆頭にして、ひょっとして聖家族とその周囲の加害者達って図式が垣間見える「被害妄想」派の大江健三郎も?)、その縮小再生産された形で蔓延しつつあるプチ・ナショってのも、実はアメリカナイズされたってことかもしれない。つまりこの「恐怖症」ってのは感染るのだ。恐怖心から「ヤられる前にヤれ!」って防衛本能が過敏になり、もし相手がその徴候に陥っているなら「じゃあそれより先に…」ってな先手必勝競争になるのが、この「呪い」の怖いところ。結局、他者理解より「ウザイ」で切り捨てる方が楽なので、いったん転び出したら止まらない。コロンバイン高校の事件は中流家庭育ちのイジメられっ子=つまり周囲の同級生にウザイと切り捨てられた少年二人が、自分達以外を「ウザイ」と切り捨て返す復讐戦って一面があった。そして劇中アニメの仮説では、アメリカ白人はそれ以外の人種に復讐されるのを恐れて「武器」を発達させてきた、とされているようだ。中東や中南米やアフリカなど他国へのアメリカの介入も、予防策にして先手必勝方法であり、「9.11」はその予期された復讐がついに……ってなことだったのかも?って具合に語られるのだ。この「業」にも似たアメリカ人ならではの恐怖心! バブル期日本へのバッシングもむべなるかな…ってうっかり納得させられる感じがある。はてさてこの脱洗脳の方法の一つとしては、こうして映画に撮って笑ってあげるという手段もあるにはあるんだけど、映画の中で実効力を持ったのは「クレーマー対策」にもとれるKマートの英断のみ…ってのがちと淋しいかも。だってKマートは数多のハリウッド映画で「安いブランドの代名詞」としてちょっと卑下され気味に使われまくった挙げ句、02年1月にとうとう破産宣告を受け、再建模索中って状態なのだ。撮影時はともかく今観ると「庶民派企業イジメなの?」とも微かに感じられちゃうところがイタい実効力であるなぁ。 あとボウリングについては、福田立明「リップ・ヴァン・ウィンクルもしくは建国神話の脱構築」(開文社出版『アメリカニズムと神話形成』所収)にチラッと面白い事が書いてあった(P145あたり)。ボウリングの原型である九柱戯(ナインピンズ)ってのはもともとピンに「悪」を象徴させるなどの宗教儀礼的意味があって、「アメリカ文学の祖」ワシントン・アーヴィングの短編小説『リップ・ヴァン・ウィンクル』では山奥の異教的な神々が興じている戦術ゲームとして登場するのだが、その間、下界では20年余り流血の日々が続いていたのだ、という指摘である。アメリカ独立革命期に相当する「暴力の歴史」は二人の非WASP的神々のボウリングの戦況に左右されていた…? こういうネタと『ビッグ・リボウスキ』など90年代のホワイトトラッシュ(白人貧困層)ボウリングもの映画を絡めて、本作のタイトル(犯人の高校生二人のボウリング儀式!)に繋げてみると、「ボウリング・フォー・アメリカ」なデカい話ができるかも。と思ったけど、長くなり過ぎるのでやめておこう。 えーと。映画を注意深く見ると、「修正第2条」の「ミリシア」ってのが「ウェイコ事件(カルト教団ブランチ・デビディアンの銃撃戦のこと)」や「オクラホマシティ連邦ビル爆破テロ事件」や「ロス暴動」やらと、若年層の銃による事件2つくらいを複雑に絡まらせてあることがわかるんだけど、「バラし過ぎ」の粗筋↑でも力不足でうまく説明できなかった。後はこことかここを参考にググるなりして、各自で「つなげて」みて欲しい。あ、もちろんこの映画をみた後でね。 後言い残したことは……「ドキュがキてる!」ってのは『AIKI』のとこで書いたから、いいかな。なんか年寄りに聞いた記憶で、昔はよく映画館でニュース映画をみたもんだ…ってな話があるけど、それって「戦前・戦中」とかの時代じゃねーのか、じゃあ今のドキュメンタリー映画の先鋭的な流行り方ってのもやっぱり「戦前」だからなの…なんて、ちょっと思っちゃったりしたのであった。僕は昔、TV『今夜、宇宙の片隅で』(98)というドラマで飯島直子が「『美女と野獣』は実話だから感動するのよね〜」みたいな「実話至上主義」映画ファン役をやってて、その台詞に爆笑しつつ蒙を啓かれたって個人的な思い出がある。映画の観方、好み方ってのもチョー幅広いワケで、まあそういう仮想された「実話至上主義」な映画ファンの方々が、この映画を観てどう思うか? が気になるなぁ。ただ「アメリカってヤなとこだねぇ」だけで終わっちゃう(これもなんとなくまとまった「ある感慨」だと思うが)のは、もったいない気がするのだった。 Text:梶浦秀麿 Copyright (c) 2002 UNZIP |