[くたばれ!ハリウッド] The Kid Stays In the Picture
2003年9月20日より、ヴァージンシネマズ六本木ヒルズほかにて公開

監督・脚本:ブレット・モーゲン & ナネット・バースタイン/原作:ロバート・エヴァンズ『くたばれ!ハリウッド』(文春文庫)/全ナレーション:ロバート・エヴァンズ/素材映像出演:ロバート・エヴァンズ、ジャック・ニコルソン、ダスティン・ホフマン、ロマン・ポランスキー、フランシス・F・コッポラ、アリ・マッグロー、ロバート・レッドフォードほか
(2002年/アメリカ/1時間33分/配給:アミューズピクチャーズ)
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【STORY】
『ローズマリーの赤ちゃん』、『ある愛の詩』、『ゴッドファーザー』、『チャイナタウン』……倒産寸前のパラマウントを立て直し、70年代ハリウッドに新風を送り込んだ伝説のプロデューサー、ロバート・エヴァンズ。数多くの女性と浮き名を流し、政界の大物とも親交を持ち、名優や名監督と丁々発止の喧嘩を繰り広げてきた彼の人生が、独特の映像表現の中で、スリリングに語られてゆく。子役時代から青年実業家を経て、突如俳優として『千の顔を持つ男』『陽はまた昇る』に出演。やがてプロデューサーに転身して冒頭にあげたヒット作の数々をモノにし、かと思えば80年の『ポパイ』で大コケしたり、ドラッグで捕まって、裁判所命令の麻薬撲滅CMでその人脈・人望の広さを誇ったり……。殺人容疑という大スキャンダルにまで巻き込まれた『コットンクラブ』ゴシップで苦渋を舐め、自殺寸前にまで追い込まれた後、奇跡の復活を遂げて『硝子の塔』『セイント』をヒットさせ、最新作『10日間で男を上手にフル方法』までなんと35年以上現役のプロデューサーであり続けるその生きざまを、エヴァンズ自らがその魔術的な話術で語り倒してみせる、見てビックリ聴いてビックリの驚異の個人史ドキュメンタリーだ。とにかく当時の写真が「生きた紙芝居」のように動き出し、ハリウッド映画の数々の名場面がエヴァンズの心象をモンタージュするという斬新な映像表現に驚け!

【REVIEW】
「どんな話にも3つの側面がある。相手の言い分、自分の言い分、そして真実。誰も嘘などついていない。共通の記憶は微妙に異なる」---ロバート・エヴァンズ

と、冒頭でそう宣言されちゃうので、本編はあくまで彼=ロバート・エヴァンズから見た世界観で展開されてゆく。これが滅法面白いのだけれど、まぁフランシス・コッポラ監督なんかは猛烈に反論しまくるかもしれない、なにしろ『ゴッドファーザー』を名作にしたのはエヴァンズの手柄になってるんだから。つまり、それまでイタリア系マフィアを扱った映画がパッとしなかったのは、みんなユダヤ系のハリウッド映画人が撮ってるからだと気づいて、周囲が「芸術かぶれの駄作監督」とバカにするのも構わずイタリア系のコッポラを大抜擢したのもプロデューサーの彼なら、コッポラが最初に編集した「完璧で一切変えない」と言い張る2時間6分の試写を観て「最低だ、君は大河ドラマを予告編にした、本編をもってこい!」と怒鳴ってコッポラを怒らせ、周囲を敵に回してまで2時間55分の長尺映画にさせたのも彼であり、記録的な大雪だったNYでのプレミア上映に、当時大統領補佐官だった「世界で最も有能な政治家」キッシンジャーを友人として招待して話題を盛り上げて映画を大ヒットさせたのも、みんな彼=エヴァンズの手柄なのだ。いやはや凄い。僕も含めて普通のシネフィル(映画好き)は「映画は監督のもの」という作家主義者が多いので、これまでにもコッポラやらテリー・ギリアムやらって個性派監督達が、金だけ集めてりゃいいはずの無能な制作サイドといかに闘ったか?ってな“監督サイドの武勇伝”はよく聞いたもんだけど、なるほどプロデューサーの言い分ってのもしっかりあるのだなぁと、ちょっと目からウロコが落ちる感じ(いや言い過ぎか)。「いい脚本こそが映画の命」ってポリシーのエヴァンズが、何年も前に『ゴッドファーザー』の草案『マフィア』に目をつけ、まずマリオ・プーゾに小説化させてベストセラーに育て上げて、じっくり脚本を書かせ、さらに監督やキャストも選んだのだという。だいたい「もっと長くしろ!」なんてプロデューサーがどこにいる? 彼が「俺の映画だ」と言いたい気持ちもわかる。だからこの自伝映画を観れば、彼の言い分こそが正しいって思わず味方しちゃいたくなるのだ。

ま、僕個人の本来の好みからすると、一つの事件を複数の視点から語るような(『薮の中』みたいな)のがベストなので、例えば『ゴッドファーザー』に関するコッポラの言い分――「最初から2時間55分版を作ってたのに、重役向けに2時間20分の短縮版を作らされたんだ」とか「キャスティングはエヴァンズの思惑とは全然違ったんだ」とか「そもそもコッポラの起用はピーター・バートの推薦で、エヴァンスは実は反対していたはず」とかとか…あれれ?って食い違う見解が両論併記で出てくる方が“より面白い”と思うんだけど、ここまで徹底して「エヴァンスにとって(だけ?)の真実」を滔々と語られ、その話術の巧みさにすっかり魅了されてしまうってのも、実に興味深い体験であったことは確かだ。映像素材はほぼ全て当時撮られた写真を加工したものなので、実にリアルなドキュメンタリーに思える。そしてその注釈となる彼のバリトンの語りは一人の偉大な男の波瀾万丈の人生をくっきりと描き出す――幸運な出会いと強運の発揮、ハッタリで窮地を脱する鮮やかな機知、時には英雄的な成功と愛を得、時にはその愛を失ってうちひしがれたり、ゴシップに見舞われ同情を呼ぶ悲劇の主人公となる……観終わってみれば観客はすっかり彼のファンになってるはずだ。催眠術にかけられたかのように彼の声にうっとりし、「生きた紙芝居」のような不思議な2D/3Dコンパチ映像の中で登場するのは、誰もが知る有名人だらけってのも、ある種の人々に強烈な憧れを喚起するだろう。こうしてエヴァンズの目から見たハリウッドの半世紀がゴージャスに描き出される至福の90分は、(それがたとえ自己弁護に満ちていようとも)なかなかに得難い映像体験となるのだ。

この映画のみるべきところはまず何よりエヴァンズ本人のキャラ。そして彼の個人史を彩る映画界の重鎮やスター俳優、セレブ達の数々。さらには彼が平走した20世紀後半のハリウッド映画の数々、その名場面集も(特に映画学科の学生必見の)見どころのひとつだ。でも何より注目して欲しいのは、メディア・リテラシーに照らしてもあからさまに偏った視点が採用されていることである。例えば実際には6人の妻と無数の愛人を持ちながら、映画ではアリ・マッグローという(3番目の妻だった)女性とのロマンスだけが強調される。ゆえに“一途な愛”みたいな感情が醸し出されてしまう、あまつさえその気持ちに僕らが感動してしまう事態こそが「映画の危険な可能性」を表現しているのだ。ノンフィクションの体裁で、一人の男の「主観」に満ちた世界が開陳される時、「人の数だけ事実がある」なんて相対主義というか個人主義というか悪平等主義というか、そんなものわかりの良さでボーっと観てしまうと、まんまとエヴァンズの魅力に満ちた罠にハマってしまうことになる。そしてブレット・モーゲン & ナネット・バースタインという気鋭のドキュメンタリー監督コンビは、この映画で確信犯的に「彼の言い分のみ」をスタイリッシュかつスマートに描き出してみせて、その危うい罠へと敢えて観客を誘い込むことを選んでいるのだ。そのなんとも凶悪な、でもカッコイイことは認めざるを得ない映像表現テクニックこそ、実はこの映画の最もみるべきところ、なんだと思ったのだった。

余談。1981年にエヴァンズが手掛けた麻薬撲滅キャンペーンが全米を巻き込んだなんてのは、この映画を観てほぼ初めて知った。「♪ウィ・アー・ザ・ワールド」って歌による85年のアメリカのミュージシャン達によるアフリカ飢餓救済キャンペーン(USA for AFRICA)の方はリアルタイムで知っていたんだけど、それ以前にこんなのもあったのね。ま、ドラッグ反対ソングなんてのは、当時の日本には輸入されるようなもんではなかったという国柄の差、なのか、それとも実はたいした運動じゃなかったのか? ううむ気になる。

あ、あと『ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ』(97)でダスティン・ホフマンが演じてるのがロバート・エヴァンズをそっくり真似た映画プロデューサーであることは、この映画のエンド・クレジットと関連して非常に重要かも。D・ホフマンはエヴァンズ製作の『マラソンマン』(76)撮影時に「20年後のエヴァンズ」を皮肉たっぷりにふざけて演じていて、この『くたばれ!ハリウッド』劇中で唯一の「エヴァンズ以外の視点で見た」エヴァンズの姿として、最後の最後に提示されるのだ。つまりD・ホフマンは76年に「96年の老いたエヴァンズという役」を予言的に演じ、その予言は今も現役のエヴァンズによって辛うじて覆された(?)が、「97年のエヴァンズという役」を演じた『ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ』でしっかり持ちギャグを更新していたってこと、なのかもしれない。とにかくこの映画でエヴァンズに興味を持った人には必見である。

Text:梶浦秀麿



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