さて。近所のレンタルビデオ屋の知人に『天才マックスの世界』のあらすじを一生懸命語ってみせたら、「……それ、何が面白いの?」と言われてしまった。うーむ。このムズ痒いようなオモシロおかしさを、言葉で説明するのは酷く難しいのだ。どうしよう?

『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』にも共通するのだが、観て、まず思ったのは情報量の多さ、というか「尽くし」式の語りのスタイルの面白さである。テロップを多用したりして、短いカットを過剰に連発して語られる情報は、意味がないのかあるのかも不明で、ただただ可笑しいのだ。何というかディテールに淫したそのこだわりは、もはや引用元がどうとか語る以前に「もう一回、いや何度かでも、ただ観たい」だけって感じの欲望にとらわれてしまうのだ(DVD世代のカウチ映画なのか?)。二作品の本質的な部分で語られているのは、言ってみればヘボい(ある種リアルな)青春や人生である。でも語られていることは、あんまりこだわるようなものでもない(敢えてこだわった分析は後述)。問題は映画ならではの魅力、なんだけど……。はてさて。

実例を挙げてみよう。『天才マックスの世界』は、赤いカーテンの前に置かれた、とある家族の肖像画から始まる……のだが、実はこの家族、話の中心ではない。すぐさま名門ラシュモア高校(原題は『Rushmore』である)の教室で、MITの教授でも解けないという超難解な幾何問題を英国式紅茶を嗜みながらスラスラ解いてみせる主人公マックス・フィッシャー(ジェイソン・シュワルツマン)を描写する。かと思ったら実はそれは夢で、彼への拍手と思われたのは、成功したラシュモアOBとして母校の後輩達に講堂で講演していたハーマン・ブルーム氏(ビル・マーレー)へのものだったという導入。その後、いきなり列挙されるのがマックスの課外活動の様子なのだった。

1ラシュモア高校年鑑の編集長、2学校新聞の発行人、3フランス語クラブ部長、4模擬国連・ロシア代表、5切手とコイン・クラブ副部長、6ディベート・チーム(弁論部)主将、7ラクロス部マネージャー、8カリグラフィー・クラブ部長、9天文学部創設者、10フェンシング部主将、11陸上十種競技(デカスロン)二軍選手、12第二合唱団指揮者、13爆撃チームの会(ドッジボール?)創設者、14カンフークラブ黄帯所持者、15トラップ射撃クラブ創設者、16養蜂クラブ部長、17ゴーカートの会創設者、18フィッシャー劇団演出家(座長、役者もする)、19軽飛行機クラブ飛行記録保持者……

と、19ものクラブなどを掛け持ちしているのが高速で語られるワケだ。よくよく考えるとしょーもないというか誰でもできそうな部活もあったりするんだけど、こう矢継ぎ早に紹介されると何だかめまいがしそうな凄みがある。笑っていいのかもよくわからないような映画の基調トーンは、こうして決定されるのだ。あ、他にもバックギャモン・クラブにいたり、ラテン語授業廃止反対運動家をしてみたり、図書館に入り浸っていたり、アマチュア・レスリングしたり、水族館(海洋生物観察センター)設立に動いたり、チアリーダーしたり、スパイ活動したり、理容師見習いしたり、凧揚げの会の創設者になったりするし、皆勤賞や無遅刻賞をもらったりしてるので、要は課外活動オタクなマックス君なのであった。どうやら学業成績は酷くて、何度か放校されかかっているってのが冒頭の状況なんだけど……。んで実は(「実は」が多いな)ハーマン・ブルーム社長の家族ってのが冒頭の肖像画なんだけど、双子の息子ロニー&ドニーはマックスと敵対する乱暴者だったり、妻はどうやら浮気しているらしいってのが徐々にわかってきて、この親ほども歳の離れたハーマンとの友情やら絶交やらをするマックスの話が、「9月」「10月」「11月」「12月」「1月」と律儀に章題をテロップして語られていくことになる……。あ、もともと図書館で書き込みのある本を見つけたマックスが、司書に貸し出し記録を見せてもらったことから始まる初恋(!)ってのが、二人の友情とその消滅と和解なんてのの原因だったりするのだ。が、これも巧く書けば内田善美『空の色に似ている』やアニメ『耳をすませば』みたいな青春ラブ・ストーリーの導入になるんだけど、相手は低学年担任の女性教師ローズマリー・クロスで、マックスは彼女を失職に追い込むまで(それ以後も!)執拗にストーカーめいた恋心を空回りさせるってな展開だから、これも笑っていいのかよくわからん居心地の悪さがある。さらに彼に子犬のようにまとわりつくダーク君との友情の揺れもサイドストーリーになってて、どうにもクライマックスらしくないクライマックスでは、マーガレット・ヤンって女の子とベトナム戦争劇の舞台に立つことになる(もちろんマックス自作自演)。このダイナマイト使いまくりの前衛芝居(?)ってのが、米兵とベトコン女性兵とのロマンスなんていう噴飯もの、いわばベトナム戦争パロディというか風刺劇というか……なんだけど、何故か劇中の観客は感動して拍手喝采大成功----ってなノリも何だかヘンテコ。で、めでたしめでたし……ってオイ!と突っ込むのも忘れて一緒にじんわりよかったね、と観終わる僕なのだった。いや、何というか……。ね、言葉で説明されても、面白さがよくわかんないでしょ? 観ても面白くないって人も多いかもなぁって映画なのだ。

悪口はいくらでも言える。マックスって、学業成績は悪い癖にクラブ創設オタクの多趣味ぶりっこにして生徒会(自治会)活動マニアだ。口八丁ではあるが多芸多才ってほどではない。器用貧乏ってとこか。何か「天才」がありそうには見えるけど、ただハタ迷惑なだけだとも言える。だって女性教師をクビに追い込んだり、名門校の敷地を勝手に(超個人的な思い入れと思いつきで)水族館にしようとしたりするんだもん。作る演劇も頭でっかちな社会派だったりベトナム戦争ものだったりする。しかも視点はシニカルなのに本人や周囲は感動系って思うらしいのも仕掛けとしてはあざとい。劇中の観客が喝采するのも、意味わからんというか監督本人の願望だよな……とかとか。

でも実はコイツの気持ちはよくわかるのだ。僕の高校時代もハンドボール部と美術部とかクラブ掛け持ちしたり、生徒会役員もしたり学科の合唱でピアノ弾きしたり下手なバンド組んでキイボードやったりボーカルやったり(恥)、自主映画も企画したし(顧問と予算がつかず、結局企画倒れした。『a little war(仮)』という企画のシノプシスは手塚治虫『時計仕掛けのリンゴ』の高校ヴァージョンで、好戦的ドラッグ入り学食が原因の校内暴力と闘うってな話だった!)、茶道部に入り浸ったり、医務室に入り浸ったり(これは中学の時か)、それまでなかった漫画研究部設立に動いたり(後輩がすぐ後に申請してきて、一緒にやろうといったら断られた)、ああ、漫画同人誌の表紙も描かされたっけ(『サイボーグ007』のジョーとジェットのソフトやおい「2と9の仲を守る会」会誌で、何故か超人ロックとガンダムの話を描いたような……)。中国交換留学旅行を賭けた作文コンテストでは3人の候補を結局先生達は選べず、ジャンケンで負けたりもした(勝った後輩は帰国後「チャイニーズ」とあだ名が付いてたなぁ)。酷い軟派なふりしてみたりバイク乗ってみたりテキヤでバイトしたり煙草吸ったりパチンコ麻雀に狂ったり……。もちろん不良方面の人には喧嘩を売られ(「生徒会の役員が何でサ店で煙草吸ってんねん」とか)、真面目な体育会系一本の連中にも「部の掛け持ちなんて真剣さが足りん」とたぶん思われてたし、人並みにイジメられたり大量の女の子に振られもしたし、逆に「交換日記して」と言ってきた可愛い女の子(あだ名は「ユカリ姫」)と1年間リチギにノートのやりとりをし、その後ハンドボール部の部長になった同級のタニグチ君から「『カジくん映画の話ばっかりでつまらんわ』って言ってたぞ」とか余裕かました感じで告げ口喰らった時には「健全な肉体に健全な精神なんて宿らんのやなぁ」と、その男の子の方にガックシきたり……。ううう、でも実際、今考えるとオレってばヤな奴だわ(笑)。たぶん自分でも何をやりたいのかよくわからんかったのだ。高校時代って、何でもやってみたかったけど結局空回りで、全部中途半端だったなぁ、トホホ……。大学では演劇・美術ライター業やってたけど、周りの同世代のマスコミ志望の連中とか映研とかアート系の人達の自意識過剰な根拠無きハッタリズムを垣間見て、「ああ、こりゃハタ迷惑だわ」と思って普通になろうとしたんだけどさ……ううむ。だからこのマックス君みたいなの見ると、見守ってあげたいとも思いつつ、ヤな思い出も湧き出してしまうので全否定してやりたくもなる。そういう説教に凝ったこともあったなあ……。いやはや、熱かった。←って余談の思い出話が長過ぎるっての! ま、だから『天才マックスの世界』への文句を言い出すと、同族嫌悪みたいなもんになってしまうのかもしれん。逆にプライベートな部分に触れる「ある種のリアルさ」を持った映画だとホメることもできるかもしれない。この居心地の悪い感動ってば、何と言い表すべきか?

とにかくウェス・アンダーソン作品のキイワードの一つは、空回りする想い、なんてのはどうかな? 空回りする想いと、その意余っていろいろアタフタ実践してみて、何故か辛うじてささやかなハッピーエンドに着地する感じ。それは2作に共通してある。キャラクター達の妙な落ち着きの無さ、でも暴力的ではない感じ。ぼんやりとした不安、饒舌なのに空疎な感触、こだわりだらけなのに無欲な感じ、トッピなのに許されてる人物造形、アタフタしてるのに空回りしてる印象……。そんなのでできてるのが、この監督の作品なのである。

あ。余談。原題の『Rushmore』はひとまず名門私立学校の名前(サウスダコタ州西部の山の名前でもあり、この山にはワシントン・ジェファーソン・リンカーン・ルーズベルト大統領の頭像がある)なんだけど、ラッシュモアだから「もっと急げ(突撃しろ、あわてろ、女に言い寄れ)」とかってダブルミーニングにもなってるのかもしれない。なにしろ監督はJ・D・サリンジャーのファンらしいので、彼の小説の登場人物シーモア・グラスが「もっと鏡見て」ちゃん、なんて語呂遊びされるのを意識しているのかもしれないなぁと思ったのだった。(2/5)→次ページへ
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Column1:Hidemaro Kajiura
『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』と天才ウェス・アンダーソン監督の世界
Column2:Toru Hachiga
『ザ・ロイヤル・ネテンバウムズ』サウンドトラックを聴きながら

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