見たことないものが見たい!----『ソードフィッシュ』で極まる“ぐるぐる映像”の魅力

『ソードフィッシュ』の面白さは、冒頭数分のめくるめく“街角大爆発ぐるぐるシーン”につきる。「つきる」とか言い切っちゃうと問題もあるんだけど(笑)、あえて言う。とにかく「ツカミはOKっ」ってなケレンみたっぷりの導入がいいのだ。映画はまずいきなりトラちゃん(ジョン・トラボルタ)の「ハリウッド映画」批判から始まる。これはトラちゃんの復活作でもある『パルプ・フィクション』を監督したタラちゃん(クエンティン・タランティーノ)へのあからさまなオマージュだろう。で、ニヤニヤしてたら外はえらく緊迫してる。と、意表をつくドカン!だ。人間爆弾が爆発して周囲のSWAT隊員がパトカーと共に吹っ飛び、爆弾に仕掛けられたベアリングも飛び散り、ガラスが割れ破片が飛び、それを見る視点はぐるぐるっと爆発地点の周囲を円を描きつつ回り込み、パトカーの車内やコーヒーショップの店内を通り抜ける! いやあヤラれたって感じ。で、映画はそもそもなんでこんなことになってるのかを、過去に遡って描いてゆくのだ。うまい! ----というわけで、今回はこの“特撮”技術についての考察をしてみたい。

とはいえ実は全然詳しくないので、プレス資料のVFX技術解説を参考に我流に整理する。この解説(たぶん劇場プログラムにも載るはず、公式サイトにもあり)は、映像クリエーター/ジャーナリストという肩書きの大口孝之さんの手になるもの。詳しくは彼の解説を見てね。ちなみに雑誌「GaZO画像」(徳間書店)VOL.5[99年9/1発行]の『マトリックス』特集でのVFX技術解説も大口孝之さんが担当してた。こちらも参考にした。



初体験視覚の驚き!

『マトリックス』で有名になった“ぐるぐる”映像、最初に見た時はたまげた。今まで見たことないかっちょいいヴィジュアル! すっげえ!! ってな感じ。でもその後、CMやプロモなどアチコチで見かけるようになったんで、その新鮮な驚きが薄れて、慣れちゃったのがまた嫌な感じだ……この「驚き」と「慣れ」についてちょっと考えてみようと思う。例えば、子供の頃、「ミルククラウン」を初めて見た時の驚きを覚えているだろうか? あの牛乳の白い表面が王冠のようになってる瞬間を撮影したヤツだ。肉眼では見えない(見えにくい?)一瞬の映像を、静止させてじっくり見る経験。初めて見た時「うわあ」という素朴な驚きがあった。そのガキの頃、ふっと感じたのは「西洋の王冠って、コレをモデルにしたのか」って腑に落ちる気分。つまり、大昔の人が、あの液体表面にできる円形に撥ねた形状を、超高速度カメラのような目で捉えて、一番偉い王様の金の冠のカタチにしたのね……と思い込んだのだ。いや今考えるとバカバカしいけど、その時の腑に落ちる気分って何だったんだろ? その話を友人にすると、ちょっと前にTV番組「鉄腕ダッシュ」で「極低温で立体ミルククラウンをつくる」ってのをやってたと教えてくれた。試行錯誤の末、なんとか曲がりなりにも氷の王冠ができて、それを頭に載っけたりしてたとか。ふうむ。とすると、それが王冠のカタチの始まりなのか----って、そんなワケ無い無い……いやいや、待てよ。例えばラスコー・アルタミラの洞窟壁画で、古代人が描いた走ってる鹿とか馬の絵で、本当なら足は4本なのに、それ以上いっぱい描いてたりする。それをバカにする、原始的とするのが科学的知識だとすると、多重露出で撮影された走る動物の写真で、やっぱり足がたくさん写ってるのを見て「ああ、こんな風に見えてたのか」と腑に落ちる感覚って、ない? これはアニメーションの歴史の説明でもよく出てくる話なんだけどさ(漫画入門だと「デフォルメ」の説明にされたりもする)。----こういうのって何なのか、ちょっと気になったので、そういう“驚き”の歴史を遡ってみようと思う。

「映像の驚き」小史

というワケで、ここ200年弱の「映像の驚きの歴史」の話をしよう。まず基本事項。写真は1837年(カメラ・オブスキュラからダゲレオタイプ写真の発明)。んで映画は1895年(リュミエール兄弟による初の上映会)。同じ頃(1890年代末)に写真用のロールフィルム量産開始。……電気鉄道の実用(1883)、四輪自動車製作(1889)、ライト兄弟の飛行機(1903)ときて世界大戦が2つほどあって……1940年代あたりにカラー写真、カラー映画が初登場、50年代にカメラ普及、モノクロTV(日本だと街頭テレビが53年)普及。カラー写真やカラー映画の普及は60年代で、70年代に「特撮」という概念が普及して、80年代にビデオが普及して「SFX(SpFX、F/Xとも)」概念も普及、90年代にはCGが普及して「VFX」概念が生まれるってな大雑把な流れがある。後半ヘンな偏りがある? いや「映像の“驚き”の歴史」だからこれでいいのだ。もう少し具体的には……。

*1860年に「スナップショット」(連続射撃→連続撮影)という軍事用語から写真用語への転用がある。「リアルな絵画」としての写真に「動き」の概念が(ついでに情報“兵器”概念も)加味された瞬間。

*1872年のエドワード・マイブリッジ(1830-1904)による初の連続写真。これがティム・マクミランの<タイム・スライス>や、『マトリックス』『ソードフィッシュ』などのVFX映像の起源とされる。

*1895年、リュミエール兄弟が最初の大スクリーン映写機完成。1897年『ラ・シオタ駅に到着する列車』発表。フランスの観客がスクリーン上の列車から逃れようとしてパニックになる、なんて逸話あり。「驚き」の大衆化。特許を先にとったエジソン(1893年キネトスコープという覗きからくり式装置を作る)に発明の手柄を盗まれたりも。

*1900-20年代に、運動するもの(蒸気機関、自動車、飛行機、運動選手など)をスナップする写真が流行(ジャック・アンリ・ラルティーグ活躍)。シャッター機構の進化、ストロボなども開発される。映画では後に「特機部」と呼ばれる特撮部門が生まれる(16年の映画『イントレランス』から名のついたイントレ台とか。人工雨、人工雪、ミニチュアなどが「特殊撮影=SFX」の起源)。

*1937年、MITのハロルド・エジャートンがストロボ装置を発明して「ミルククラウン」を撮影(有名な彼の作品では、1957年「Milk-Drop Coronet」はカラーのミルククラウン写真、1964年「Shooting the Apple」はリンゴを貫通する銃弾を捉えた写真、なんてのがある)。

*1950年代、ウィリアム・クラインの「スナップ的手法」が写真界でひとつのカノンになるとか。超高速シャッターや大光量ストロボなど、撮影技術の進歩が映像作品に影響を与える兆し。

*60〜70年代は、ある種のオタクの人達にとっては「特撮」の時代。古い映画ファンは、この特撮ってのを断固として認めない。例えばポーリン・ケールという高名な映画批評家は、『2001年宇宙の旅』以降のキューブリックを全否定してるとか。そのキューブリックは68年『2001年宇宙の旅』で<スリット・スキャン>、<フロント・プロジェクション>、<モ−ション・コントロール・カメラ(別名ダイクストラ・フレックス)>といった特撮兵器をいっぱい導入。長時間露光や多重露光といった地道な努力で“見たこともない映像の臨場感”を追求した(ここらへんは岡田斗司夫『オタク学入門』新潮OH!文庫を参照)。80年『シャイニング』でも、開発されたばかりの<ステディ・カム>を導入している。ハンディカメラ(手持ち撮影)のブレを極少化したこのステディ・カムが、その後の映画表現をこっそりすっかり変える。僕はアラン・パーカーが『バーディ』(84)でやった、鳥の視点で低空飛行する映像を見て「ステディ・カムってすげえ!」と初めて“体感”した覚えがある。ちなみに「特撮の時代」としてはスピルバーグの77年『スターウォーズ』(80年『帝国の逆襲』、83年『ジェダイの復讐(帰還)』)を忘れてはいけない。

*キューブリックは「高速前進移動」する映像を好んだが(キネ旬ムック『フィルムメーカーズ8:スタンリ−・キューブリック』映画事典参照)、これを過激にしたのがコーエン兄弟とサム・ライミによる<シェイキー・カム>(キネ旬ムック『フィルムメーカーズ5:コーエン兄弟』映画事典参照)。要は長距離の「前進移動」をステディ・カムで撮って早回しするようなアイデアのことなんだけど、これはサム・ライミの83年『死霊のはらわた』や87年『死霊のはらわたII』、コーエン兄弟の84年『ブラッドシンプル』や87年『赤ちゃん泥棒』でその効果を味わうことができる。ちなみに畑中佳樹は87年に「SFXは映画をダメにする諸悪の根源である」と、特機部=SFX部門を裏方の職人だったくせに予算食いやがって……なんて差別するようなことを書いていたのだった(『知的新人類のための現代用語集2』角川文庫より)。そうそう、んなワケで80年代は「特撮からSFXの時代」なのだった。

*で。87年、英国バース大学のティム・マクミランが<タイムスライス>を発案する。<タイムスライス>は、マクミランと知り合いだというメディアアーティスト、岩井俊雄の解説によると、こんな風に生まれた(以下、キネ旬ムック『フィルムメーカーズ17:岩井俊二』所収、岩井俊二×岩井俊雄対談の岩井俊雄の発言より引用してみる)。「……彼はマイブリッジの連続写真に触発されて、ピンホールカメラを横に並べて撮影を始めた。それが直線だったのが三角形になり、四角形になり、ついには丸くなって、直径2メートルくらいのリングの内側にピンホールがずらーっと並んでて、その外側にフィルムを装填するんですね。それをつくり始めたとき、もしかして35ミリ映画のフォーマットにピンホールの幅を合わせれば、映画になるかもって彼は気がついて、35ミリの映画フィルムを装填したんですね。で、真っ暗な部屋のなかにリング状の円環カメラを置いて、例えば人がバーッと飛び込んだ瞬間にストロボを焚く。そうすると360度すべての方向から見た写真がフィルムに撮影されるわけですよ。それを映写機にかけると完全に時間が止まった風景がぐるぐる回って見える」----なるほど。ちなみに19世紀末のマイリッジの最初の連続写真は10台のカメラ(最高40台とか)、このマクミランのピンホールは301個だったとか。それにしても、規格(フィルムサイズやピンホールの焦点距離など)が先にあって、それに合わせて発明されていく感じが面白い。ちなみにティム・マクミランはアーチェリーが趣味で、弓道をしに日本に来て、大塚の弓道店の2階に住んで習ってたらしい。その間に何度かワークショップをやって、そこに岩井俊雄も参加してたとか。あ、彼の作品は当時、フジテレビ「なるほど!ザ・ワールド」で放送されたらしい。うっすらと見た記憶があるんだけど……岩井俊雄によると「奥さんと本人が朝食を食べていて、うっかり彼がミルクをこぼしてしまい、ミルクがバーッとこぼれている瞬間の風景が撮ってあったりするんですよ。もちろん食卓はその撮影のために円環カメラの中にセッティングしてあるわけですよね。朝の食卓のシーンが止まったままガーッと回るんです」ってな映像作品だったようだ。----以後10年強の“くるくるSFX/VFX”の進化は、ここから始まる。マクミラン自身は1995年にジョセフィンカメラ(円周の一部をカットして120個のレンズを並べたもの)を開発してCM撮影などに使用。映画ではゲーム・デザイナーのクリス・ロバーツが監督した『ウィング・コマンダー』(1999→日本では2000年5月公開)のワープシーンを手がけている(60台のスチルカメラによる)。1999年発表のアート作品「Ferment」は直線移動ヴァージョンでの新作。4分以上に渡って1つの街の中を時間を静止させたまま真っ直ぐに移動するってヤツだ。「どうやって撮ってるのかも全然わからない」とは岩井俊雄の弁。これは2000年の広島国際アニメーションフェスティバルで優秀賞を受賞した。

*さて、ちょっと戻ると90年代はコンピュータ・グラフィックスが超進化した時代である。コンピュータ・ゲームが独自に3D表現に凝り始め、ポリゴンを経て滑らかな立体表現が可能になるまではあっという間だった。ここで絶えず実写を参照しつつ、ユーザーを驚かす映像が追求される。遊園地でも擬似ジェットコースター映像=ライド映像が、これも実写をもとに3DCGで作られ始め、アトラクションを盛り上げる。これらの“驚き”が映画にもフィードバックされるワケだ。それまでのリアルな撮影する現場で特殊な効果を用いるSFXから、撮影後のフィルムを加工するVFXへ(大口孝之さんの区分)。VFXってのはつまり、映画黎明期に既にあったフィルム着色によるカラー化を起源に、昼間撮って夜のようにみせる「アメリカの夜」あたりのテクニックや、フィルムに雪や雨を描き足したり画面を合成したりするところからあって、それが進化して、今やいったんコンピュータに取り込んで、いかようにも精密に加工できる時代になったワケだ。このSFXとVFXの区分概念は90年代後半に映画評論家の間でも混乱したまま使われていて、大雑把に全てをSFX=特殊効果に含む傾向もあったような気もする。これは今回、『ソードフィッシュ』で<マルチカム・システム>と呼ばれている撮影・加工テクニックについても同様。とにかく別称がいろいろあって、さてどれに定着するのかってのは、かつての「モ−ション・コントロール・カメラ」対「ダイクストラ・フレックス」みたいなノリもあって面白い。以下、90年代流行の「タイム・スライスの子供達」を概観する。

1991年、フランスのBUF社が開発したのが、2枚の静止画(スチール)から視差を計算してCG立体を仮想するイメージベースド・レンダリング・ソフト。96年のローリング・ストーンズのプロモ『ライク・ア・ローリング・ストーン』に使用され、99年の『ファイト・クラブ』のベッドシーンなどでも活躍。我流のわかりやすい理解だと、アニメーションで原画をもとに動画を作成する時、2枚の原画の間を動画担当者が自然な感じにつないでゆくんだけど、それをコンピュータ上でやってる感じみたいだ(『ファイト・クラブ』だと5台のスチルカメラで撮った画像をモーフィングとモーション・ブラーで加工したらしい)。

1994年、アメリカのタイムトラック社のディトン・テイラーが開発した<ストップタイム>or<フローズン・モーメント>(ジョセフィンカメラと同様のシステムで、25〜160レンズのカメラアレイ・システム)が特許取得(マクミランは特許を取得しなかったので)。

1996年、アメリカのリール・エフェクツ社はナイキのCMに<マルチカム・システム>(一眼レフの35mmカメラを多数並べて同時に撮影する技法)を使用。以後、ミュージックビデオやCMなどで活躍。トヨタの「アルテッツァ・ジータ」のCMでは、マルチカム・システムでの撮影風景そのものが登場。2001年『ソードフィッシュ』冒頭の爆発シーンを手がける。これは後述の『マトリックス』の<マシンガン撮影>を受けて、人物中心からイベント(爆発)中心へと「ぐるぐる中心の移行」および「ぐるぐる円運動の拡大」があり、背景別撮り(というか背景CG制作)だった『マトリックス』と違って同時撮影(スチルカメラ134台とムービーカメラ4台のカメラアレイによる)の上で、VFX加工というカタチで作られている。同時撮影といっても実際は同じ軌道で各要素(背景、爆発、跳ね上がるパトカー、吹き飛ばされる十数人のSWAT隊員など)が繰り返し撮影され、さらに飛び散る車の破片やガラス、ボールベアリングなどもCGで追加して、それらを1つの画面に合成したらしい(詳細はプログラムか公式サイトを参照)。

1999年、マネックス・ヴィジュアル・エフェクツ(MVFX)社が『マトリックス』で<フローモーション>使用。ウォシャウスキー兄弟監督は<ブレッド・タイム>と呼び、日本での配給元であるワーナー(『ソードフィッシュ』も配給)は<マシンガン撮影>と翻訳。完全な静止状態ではなく、高速度撮影風にゆっくり時間が流れる中で回転する(スチルカメラ120台とムービーカメラ2台のカメラアレイによる)点、背景がCGで作られている(仏BUF社同様、イメージベースド・レンダリング使用。ただしカルフォルニア大学バークレー校で開発されたばかりの技術らしいので、別物ソフトか?)点、見せたい中身がワイヤーワーク・アクション描写の進化型である点の3点で、<タイムスライス>からは飛躍的に「驚き」の質が変化している(詳細は「GaZO」VOL.5などを参照)。MVFX社は2000年にアイマックス映画『マイケル・ジョーダン・トゥ・ザ・マックス』にもこの技術を応用。翌2001年倒産(親会社の経営悪化が原因。陰謀説も出た)。『マトリックス2(The Matrix Reloaded)/3』(共に2002年公開予定)は、エスケープ・エンターテインメント社に引き継がれる。

って感じ。他にもフル3DCGアニメアニメーションで<タイム・スライス>系の“ぐるぐる”をやる場合も増えていて、日本でもCM、プロモ、映画などから野球中継まで応用されている(具体例は省略。プログラムか公式サイトを参照)。

以上が、かなり遡って考えてみた「映像の驚き」の歴史。ちょっと粗いメモなんだけど、こういう系譜の中で『ソードフィッシュ』の特撮=マルチカム撮影を位置付けて、じっくり味わってみるのもいいのではないだろうか。

テキスト:梶浦秀麿




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