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21 Grams
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一度魂に刻まれた傷は二度と癒えないのか?――粒子の粗い、
渋い色調の映像、時系列の無造作なシャッフルが織りなす、
21gのソレにまつわる渋いドラマ。三人の演技派俳優による
迫真の肉付けにこそ驚愕すべし。
REVIEW:
緻密なクレバーさを隠した、野性味あふれる渋い哀しみ――ってのが持ち味のアレハンドロ・ごにょごにょ(覚えられん)監督の、『アモーレス・ペロス』に続く“3エピソード交通事故つながり”モノ第二弾、である。ひとつの交通事故が、3つの家族の未来を荒々しく変貌させる。轢いた者と轢かれた者、2つの家族を破壊した事故が、もうひとつの家族を救う……かに見えるが、実は本作の隠しテーマは「人生まっさらなイチからやり直しってのは実は不可能性だ、それを悟った時にヒトはいかに振る舞うべきか?」なので(たぶん←ってオイ)心臓移植で第二の人生万々歳ってな展開は用意されていない。
だから心臓病で死にかけていたポール(ショーン・ペン)が、事故死した男の心臓を移植されて奇跡的に人生を「やり直」せても、妻(シャルロット・ゲンズブール)との仲も明るく元通り……ってワケにゃあならんのだった。で、「人為的な生命の存続」という意味で心臓移植と対になっている人工受精にこだわる妻とうまくいかないポールは、やがて『HEART』みたく、本来は内緒であるドナーの遺族である未亡人クリスティーナ(ナオミ・ワッツ)を探し当てて、彼女の哀しみの核に届こうとしてしまうのだった。彼女は若い頃に麻薬中毒で死にかけたが「立ち直」り、優しい夫と二人の娘を得たのだが、その三人の家族を事故で一挙に失い、独り呆然と月日を過ごしていた。機械的に日課だったジムで泳ぎ、酒を買い、ついに昔馴染みの売人の女に声をかけ、ヤク中に逆戻りしてしまう。そんな彼女の前にポールが現われ、意志を取り戻した彼女が最初に望んだのが「復讐」だった……。彼女の夫と娘達を轢き殺した前科者のジャック(ベニチオ・デル・トロ)は、奇妙な運命論にとりつかれていた。刑務所でキリスト教系の新興宗教に出会って改心した彼は、出所後に宝クジで車が当たったことから神の意志を信じ、妻と二人の子供の為に、偏見にも負けずに働きながら、熱心に教会にも奉仕していた。そのジャックの誕生日、刺青を理由に解雇されたゴルフ場から私物を引き上げる帰り道、うっかり事故を起してしまったのだ。神に与えられた車で、親子連れを轢き殺すという運命……これは神が仕組んだ陰謀か? いったん逃げ帰ったものの、教えに従って刑に服した彼は、一転して神を憎むようになり、出所後も家族を捨てて各地の工事現場を彷徨うのだった……。ドナーの遺族を調査した探偵が、ジャックの居場所も突き止めてポールに伝え、アシのつかない銃も依頼通りにポールに渡す。クリスティーナの望みを、こうして交通事故で結びついた三人の運命が、再び交錯する……。
と、わかりやすく粗筋を整理してみたが、映画はこんな風には進まない。時間は前後しアチコチに飛び、エピソードの断片が細切れに提示されて、観客はなかなか全体像にはたどり着けない。ただ、ただならぬ事態が進行している気配だけがヒタヒタと迫ってくるので、固唾を飲んで画面を食い入るように見つめ続けるしかない。『アモーレス・ぺロス』では3つの話が順番に出てくるオムニバス形式だったが、本作はもっと大胆。3人の人生が交互に出てくるだけじゃなく過去や未来が無造作な手付き(の振り?)でシャッフルされているのだ。『メメント』のリワインド(逆行)+順行エピソードの律儀な構成を想起したりもするが、もっとラフで、だが実は狡猾なまでに効果を計算されて編集されているようだ。だから『アモーレス・ペロス』同様、ラテンな味(「犬の愛」として描かれた人間関係劇の濃さ)の背後に見える賢さが微かに鼻につくって面もある。以前『セプテンバー11』での、WTCのニュース映像とニュース音声を闇の詠唱で包んだヴィジュアル・サウンド・アートってなクレバーな彼の小品を絶賛した僕としては、観客を見くびってる感(しょせん大衆芸術である長編映画の客には現代美術の問題意識は理解できないと思ってる?)に、ついアマノジャクに反応しちゃうんだけど、今回はさらに『ミスティック・リバー』のペンに『マルホランド・ドライブ』『ル・ディヴォース』のワッツ、『トラフィック』『ハンテッド』のデル・トロという演技派三人による迫真の演技合戦(『僕の妻はシャルロット・ゲーンズブール』のシャルロットも頑張ってるし、クレア・デュバルもチョイ役で出演してるし)って様相を呈していて、イニャリトゥ監督(あ、言えた)の隠した底意を超える情動を、観客にもたらすのには参った降参、というしかないか……。
若気の至りの非行やドラッグ中毒を、神は見逃さず罰するかも?/人為的な延命や生殖(や堕胎)は、神の意志に背いていないか?ってな、キリスト教的な罪の意識からくるような思想的背景が透けて見えるのが、僕の微かな反撥の源なのかもしれん。非キリスト教徒の僕としては、3人の男女が動物化する=理性や知性や信仰を剥ぎ取ったヒトという動物的本能に従う瞬間が訪れるのを、ドキドキしつつ承認するんだけど、「誰を殺し誰を生かし誰の子を産み誰に子を産ませるか?」という生物のキホンへと辿り着くのもまた宗教的教訓譚になってしまうこと(子孫を残すことこそ是とする「勝ち犬」宗教でもある)も監督は知っていて、つまりは交通事故ってアクシデントすらWTCテロの犠牲者同様に「神の采配」による運命なのだと敬虔に考えてしまう人なのだろうなぁと、深読みしちゃったりするのだった。タイトルもキリスト教圏の都市伝説であるトンデモ・オカルトがネタだしね。はてさて、この神学的運命論が浅いか深いかの評価は、観る人の信仰心によって違うのではないか、というよりは、そうしたモチーフを超える俳優の演技合戦こそが本作の魅力だと敢えて強調するべきかもしれない。とにかく観終わった後からじっくり考えるべく編集された映画なのであった。
あ、そういや群像5月号の舞城王太郎の小説『パッキャラ魔道』も交通事故を深く運命論的にモチーフとしていて、比べてみると面白いかも。「都市化」や「大量死」を発想の源泉とする(らしい)ミステリ小説の出身者が、こうした純文学的問題に迫ってみせるのは理の当然かもしれないけれど、『21グラム』も途中でチラッとしか登場しない私立探偵の視点から描けば、立派なミステリになるのだと気づくと、ちょっと面白い考察ができそうな気がする。余談であった。
Text:Hidemaro Kajiura
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Copyright © 2004 UNZIP.
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『21グラム』
2004年6月5日より丸の内ピカデリー2ほか全国松竹・東急系にて公開
(2003年/アメリカ/2時間4分/配給:ギャガ=ヒューマックス共同配給)
CAST&CREW:
監督・製作・原案:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
脚本:ギジェルモ・アリアガ
出演:ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロ、シャルロット・ゲンズブールほか
REVIEWER:
梶浦秀麿
EXTERNAL LINK:
『21グラム』公式サイト
DVD:
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アモーレス・ペロス
監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ/主演:ガエル・ガルシア・ベルナル
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