[マルホランド・ドライブ] Mulholland Drive
2002年2月16日より渋谷東急3、シネマスクエアとうきゅう、シネ・ラ・セット、109シネマズ木場、ワーナー・マイカル・シネマズ板橋ほかにて公開

監督・脚本:デイヴィッド・リンチ/音楽・出演:アンジェロ・バダラメンティ/出演:ナオミ・ワッツ、ローラ・エレナ・ハリング、ジャスティン・セロウ、ロバート・フォスター他(2001年/アメリカ・フランス/2時間26分/配給:コムストック)

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いきなり紫バックに50年代風ダンス・ミュージック。若いダンサー達のシルエット、ツイスト、クラッピング、ホーン音……映像は白く飛び気味の金髪の女性が微笑む姿を二重写しに捉え、拍手が賑やかにこだまして……闇に煙草の火が浮かび、くすんだ赤っぽい毛布の表面をカメラが舐める------そこが物語の始まりにして謎の突き当たる場所だ。と、「MULHOLLAND DR.」の標識がヘッドライトに浮かぶ。夜のカーブを黒いリムジンがゆく。テールランプが赤く滲む。後部座席に黒髪の女。ハリウッド・サインのある山の中をくねくねと走る道路=マルホランド・ドライブの途中で、不穏に停車するリムジン。助手席の男が女に銃を向けて、同時に峠を攻める若者の車が2台、奇声を上げて猛スピ−ドでチェイスしながら迫り……正面衝突。駆けつけた警察は全員死亡の惨事を前にたたずむが、リムジンの後部座席にパールの耳飾りを見つける。「誰かこの場を離れたものが?」「そうかも」……。女はフラフラと森を下り、サンセット大通りに辿り着いて茂みに隠れ、朝になって旅支度で出かける婦人の隙を見て邸宅に侵入、テーブルの下で眠りにつく。同じ頃、ファミレス「ウィンキーズ」でダンという長身の男が、2度も見た悪夢について刑事に話している。その悪夢はやがて現実になる。そして鏡ばりの不思議な赤い部屋では、奇妙な老人(マイケル・J・アンダーソン)が女を捜しているのだった……。

LA空港を降り立ったベティ(ナオミ・ワッツ)は憧れのハリウッドに来てワクワクしていた。名女優である叔母のルースがカナダ・ロケで留守にする間、その家を借りて女優のオーディションを受けるのだ。と、留守のはずなのにベッドにカバンや服がある。バス・ルームに女性の気配。出てきた黒髪の彼女(ローラ・エレナ・ハリング)は『ギルダ』のポスターを見てリタと名乗るが、やがて交通事故にあったようで記憶が無いことをベティに告げる。手がかりを探して開けたリタのバッグには、幾つもの札束と、青い鍵が入っていた。何らかの事件に巻き込まれているらしい彼女に同情したベティは、二人で私立探偵めいた行動を開始することになる……。一方、ライアン・エンタテインメント社に呼び出された新進気鋭の映画監督アダム・ケシャー(ジャスティン・セロウ)は、マフィアらしきカスティリアーニ兄弟(アンジェロ・バダラメンティ&ダン・ヘダヤ)が、主演女優を押しつけようとするのに憤慨して会議の席を立つ。だが、それから彼は理不尽な事態に徐々に追いつめられてゆく。進退窮まって会うことになったカウボーイと名乗る謎の男(レイパエッテ・モンゴメリー)は、指示通りカミーラ・ローズ(メリッサ・ジョージ)という女優をオーディションで採用するようアドバイスするのだが……。

ボブ・ルッカーという老監督の前で、チープな脚本を情熱的に演じて見せたベティはオーディションに見事合格する。ところが別のオーディション会場を見学していて、そこにいたアダムに何故か目を奪われるのだった。「リタとの約束が……」と慌てて去るベティ。リタが思い出した「ダイアン・セルウィン」という名前を電話帳で調べ、その家へ行ってみることにしたのだ。だがそこで二人が見た光景は、とんでもないものだった。打ちのめされて戻った二人は、恐怖から逃れるためか、愛し合うことになる。その夜、リタのスペイン語の寝言を聞いて起きたベティは、彼女に請われるまま真夜中にタクシーでLAの街へ出かける。不思議な劇場に辿り着き、奇妙な演目に魅せられ、戦慄する二人。ベティは、いつの間にか青い箱を手にしていた。戻った二人は青い鍵を探す。と、ベティがいない。リタは青い箱をついに開ける。その中には……。

そして、物語の後半ではすべてがひっくり返るのである。レズビアンの痴情のもつれが描かれ、またしてもリムジンはマルホランド・ドライブの途中に止まり、森の抜け道はアダムの豪邸へと続く。そこでのホーム・パーティの会話には「ボブ・ルッカー監督『シルヴィア・ローズ物語』の主演女優カミーラ・ローズ、共演ダイアン・セルウィン」の話が出たりする。そして「ウィンキーズ」での殺人依頼。あの札束がテーブルに置かれる。その店の裏手にはやはり悪夢が形をなし、孤独な部屋で狂気もまた形をなす。そうして桟敷席の青い髪の女が「お静かに(シレンシオ)……」と語るのだ。------いやあ凄い。前作『ストレイト・ストーリー』とは違う、お馴染み「ワケわからん」ヴァージョン(笑)のリンチ節が全開だ! その、解釈を許さない摩訶不思議な夢の論理の世界は、もうリンチならではのもの。まずはミステリを愉しみ、ホラーな不気味さに恐怖し、独特の笑いのセンスを堪能し、そして結末に呆気にとられよう(笑)。

で、2度3度観た人、まあたいていの映画通ならば、『恐怖の足音Carnival of Souls』か『シックス・センス』か『アザーズ』(『バニラ・スカイ』でもいいけど)あたりの系統として解釈するパターンに辿り着くようなのではあるのだが、それよりは『ツイン・ピークス』ばりのTVシリーズとして長々と放映された場合の『マルホ』を想像する方が楽しいかも知れない。主役陣からほんの脇役まで、みんな一癖ある魅力的なキャラクターなので(例えば「全ての記録をメモったエドのブラックリスト」を奪うエピソードなんて最高にユーモラスで笑った笑った、必見ものである)、全キャラの細かい小ネタを全部いろいろ展開させて欲しい、なんて思っちゃうワケだ。きっと毎週、始まるのが待ち遠しいTVドラマになるはず。とにかく「引き」の巧さ(だけ?)は絶好調。謎が謎を呼び、伏線はイチイチ怖くて不気味で格好いい。「もっと続きを!」と渇望させるのが連続TVドラマのキモだとすれば、『ツイン・ピークス』をエンドレス(最終回なし)で続けるのに匹敵するエッセンスを持った映画なのである。実際、本当は観られたかもしれないのだ。本作はもともとABCのTVシリ−ズとしてパイロット版が作られたもののボツになり、改めてフランス資本を得て劇場映画化されたってシロモノなのだから。ゆえに僕はこの劇場版をもとに長い長いTVドラマが作られることをこそ、夢想してしまうのだった。いかん、隠れリンチ・ファンがバレてしまうような上擦った物言いになってしまった。つまり逆に言えば『ツイン・ピークス』が最終回で「伏線いっぱい処理し残してるやんけっ」て感じちゃったのと同じ問題があるのが、本作の欠点なのかも知れないんだけど、リンチ映画の場合、もはやそんなことはどうでもいいのだ、と言うしかないのかもしれん。

スリルとサスペンスで強烈に観る者を引き寄せた上で、時空さえ歪めて循環するメタ・ミステリ映画とあいなったこの映画を象徴するのが、ベティによる同じ脚本の2つの演技例(エチュード)の提示と、涙の感動を呼ぶ「ジョランドLlorand(=Crying)」の熱唱に騙されるエピソードだ。滲む現実、二重化する世界の象徴であるシアトリアル・アート・パフォーマンスとしての2つの劇中劇が、途中でキャストが入れ替わるような本作の構造自体を、批評的にメタ化しているのだ。既にいろんな解釈が飛び交っている『マルホランド・ドライブ』だけど、ある種の実験映画という観方もアリだと思うのだ。つまり、本作は「映画」という虚構に騙される観客まで含み込んで「人間みな役者」というシェイクスピア流の真理を幾重にもひねり、しかもハリウッドを舞台に映画業界の舞台裏まで念入りに戯画化して、「映画」そのものを破壊するひとつの試みなのであり、さらに言っちゃえば「映画」という幽霊を主役としたゴースト・ストーリーなのだ------なんて深読みしたりしたくなる僕なのであった。観た人はぜひ宣伝フリペ全4号とプログラムを熟読して、この映画の謎解きに挑戦してみて欲しい。

さて。役者はみんな、それぞれの面白い役を嬉々として愉しんで演じている感じなんだけど、特に主演女優、ベティを演じた日本人受けしそうなルックスのナオミ・ワッツ(『タンクガール』『デンジャラス・ビューティー』など)がいい。溌剌としたおのぼりさん、芸達者な女優、やさぐれレズ女、と彼女の七変化というか役者冥利に尽きる演技プレゼンに注目してみるのも面白いかも。そうそう、エロい迫力があるのも本作の売りだった。怖くてエッチでミステリアス、そして怒濤の混乱を呼ぶ後半の展開の凄さ------デイヴィッド・リンチ中毒患者がまたしても増加しそうな問題作、なのである。

Text:梶浦秀麿

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