ビリー・ブラウンとバド・クレイという男性像についておもうこと

ヴィンセント・ギャロといってどうしても最初に思い浮かべてしまうのは、やっぱりあの鮮烈だった『バッファロー‘66』の残像。何をとっても気の効いたギャロスタイル、しかも監督・主演だけでなく、音楽やら何から何まで自ら手がけたというギャロの登場は余りにもかっこ良過ぎでした。そう、あの日本での大ブレイクももう5年も前の事になるのですね・・・。個人的なところでは、ギャロビリー・ブラウンというちょっとサイコな変てこなやつ、滑稽なんだけれど強烈なんだけれど、どうも気に障るキャラクター(勿論それがストーリーの鍵だったわけです。)で、女の私がいうもの何ですが女々しくて、観たくなかった男の弱さと虚勢を見せられてしまった胸の悪さを拭えず、“本当に「最悪な俺」だよ…”と思ったものです。

そして2作目となる『ブラウン・バニー』。次なるニューヒーロー、バド・クレイもトラウマを持ち、捨てられた子犬のように弱りきっている男。けれど今度のバドという人物像に対して不思議と嫌悪感をおぼえないのは、多分ビリーと違って男の人のロマンチシズムを感じられるから。例えば、旅の途中彼は、なぜだかいつも花の名前を持つ女性に惹かれる。ヴァイオレット、リリー、ローズ。けれど、それは単にデイジーという花の名を持つかつての恋人の幻を追い求めているだけのことだった・・・なんて何ともロマンチックじゃありませんか!女って結構リアリストでクールなので、時折耳にするこんな風な男の人の感傷的な性質はミステリアスで、どちらかというとどんなものなのか見てみたい好奇心を駆り立てられるもの、それがバドにはあるのです。
  女性の目に写る男性のナイーブさというのにも、イライラさせられるものと逆に優しい気持ちでみていてあげたいと感じるもの大きく2種類あって、ビリー・ブラウンとバド・クレイの違いはそこ、ビリーは前者でバドが後者。そしてバドという人物像を踏まえれば、バッシングも多かった噂のショッキングなラストの映像も、素直に受け止められるから女心は不思議なものです。確かに驚きましたが…。

勿論、あくまでビリー・ブラウンもバド・クレイもヴィンセント・ギャロという男の作り上げたフィクションでしかなく、彼等の中にはギャロ自身の潜在性が同様に存在するというわけ。ということは、1人の男性の中にはつねにビリーもバドも共存するってことです。ただ、ギャロの今までの俳優としての演技は、役所がいつも奇妙な人物だったりするのでそのあたりは比較にならないとしても、内面性というところでビリーよりもバドよりなのでしょうか?とにかく、早くも3人目のギャロに会いたいと思ってしまうのでした。

Text:Yukiko Kodama


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