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【STORY】
二人の美しい女、ロラとカルメンが、エピクロスの論法やら聖書の『出エジプト記』なんかを引用しつつ「歴史」や「神」について議論しながら、弾丸をガシャリと銃に装填し、へんてこな覆面をかぶってとある場所に襲撃に向かう――。発端は2ヶ月前。モノクロームのパリ市街そっくりの「天国」は、急速な過疎化で経営破綻寸前という状態だった。「神」は天国の人々の前にも決して現れないので、経営者陣は苦悩していた。そんな時、作戦本部長マリーナ・ダンジェロ(ファニー・アルダン)のもとに、地上から「息子の魂を救って欲しい」という祈りが届く。「その願いを叶えたら、奇蹟が起こって天国を救える」と妙な確信を持ったマリーナは、天国のクラブ歌手、ロラ(ビクトリア・アブリル)を工作員として地上に送り込む。「地上」=マドリード在住の「不肖の息子」マニ(デミアン・ビチル)は引退を余儀なくされたボクサーで、悪徳警官からの莫大な借金にも追われていた。そんな彼を捨てて出ていった妻に扮したロラは、親への懺悔の気持ちを呼び覚ませて彼の改心を手伝おうとする。ところが「地獄」からも使者が送り込まれた。超過密状態で、アメリカの軍や刑務所みたいなシステムで経営されている地獄では、重役陣が天国側の動向を嗅ぎ付け、囚人相手のウエイトレスをしているカルメン(ペネロペ・クルス)をマニの従姉妹として転がり込ませて、ロラの邪魔をするように命じたのだ。だが地獄の作戦本部長ジャック・ダヴェンポード(ガエル・ガルシア・ベルナル)は彼女にもう一つの秘密の使命を与えていた。なんとかマニを更生させようとするロラは、スーパーのレジ・バイトで生活を支えつつ、母に懺悔の手紙を書かせようとするが、カルメンはそれを妨害。スーパーにもキャリア上司としてやってきてロラを陥れようと画策する。パンチドランカーでもう一度ボクシングをやるのは命取りなのに、マニの野心を煽って試合をさせてしまうカルメンに、何故かロラは惹かれてゆく気持ちを抑えられないでいた。そんな時、地獄でクーデタが発生。ダヴェンポートを追い落として(英米型?)不公平経営を目論む重役陣に対抗するには、マニを天国に送るしかない! 借金で殺されるかもしれないマニを救うため、カルメンとロラは共闘することになるのだが……。 【REVIEW】 天国と地獄、それぞれの女性工作員が地上に送り込まれ、一人の男の魂を奪い合う!ってなシニカル神学コメディである。何故スペインはマドリードに住むボクサー崩れのダメ男マニの魂の行方がそんなに重要なのか?っていうと、パスカルの「クレオパトラの鼻の高さのわずかな違いで、歴史はガラっと変わっていた」説が根拠。今風にいうと「バタフライ効果」(北京で蝶が羽ばたくとNYの天気が変わるって気象予測のカオス的様態を経済学などに応用する格言)みたいなもんかな。つまりマニの魂を天国へ導けるかどうかで天国が破産(!)するかどうかが決まるらしいのだ。ここで描写される天国って、公用語はフランス語、国土(?)はモノクロのパリ市街、訪問者(つまり清く正しい前世を持つ人)は自分のなりたい姿になれる。ちょっと村上春樹『海辺のカフカ』(「街と、その不確かな壁」『世界の終わりとハード・ボイルド・ワンダーランド』でもいいが)の「あちら側の世界」を思わせる静かで落ちついた場所なのだ。ここ数十年は訪問者もなく(つまりこの世に善人がいないワケだ、前ローマ法王もマリア・テレサも来てないみたい?)超過疎状態なんだけど、前世は高潔な政治家だったらしいロラはクラブ歌手として大勢の人々に喝采を浴びていたりする。実はこれ全部ヴァーチャル群集で、ロラが気付かない内に消えてしまうってのが不気味といえば不気味。あんまり行きたくない天国である。とはいえ地獄はもっとイヤかも。ベルリンの壁にあった西側の検問所チェックポイント・チャーリーを移築した(?)地獄の入り口を抜けると、第二次大戦時のゲットー(『戦場のピアニスト』参照)以上の人口過密状態。アメリカの刑務所方式で管理されているらしく、公用語は英語で、訪問者(地獄に落ちた人)は前世とある性質が逆転させられてしまう。例えば国際通貨局局長だった白人は黒人の不法入国者の姿になったりするワケ(このジョン・フィリパウスカスは後半で元の姿に戻されて地獄の財務担当に就任するって細かい伏線があるので注意!)。何十層にも階層化された地下世界のレベル22(地下22階だな)にいたカルメンは、今回のミッションに成功すると、ダヴェンポート作戦本部長からレベル10へ上げてもらえることになっていた。で、地上で自殺しようとしていた(正しいキリスト教では、自殺は婚前交渉や堕胎や避妊や人殺しに並ぶ地獄落ち決定の罪悪である)マニを訪ねたロラの懸命な「悔い改め作戦」は、カルメンにあっさり妨害されまくり、しかもマニは後半で「二人ができてる!」と思い込んで奇妙な三角関係に陥ったりもする。地獄ではイギリス系重役によるスペイン系社長(ダヴェンポート)追い落としなんて人種軋轢もどきの謀反まで起こって、ロラとカルメンは強盗になってしまうことに……。ここにきて「いったい天国か地獄どちらに行くかを決める要件って何?」と悩む僕なのだが、物語はさらに二転三転、なかなかニヤリとさせる結末へと落ち着くのであった。いやあスペイン映画ってヘンテコで面白いなぁ。 監督は『死んでしまったら私のことなんか誰も話さない』のアグスティン・ディアス・ヤネス。天国側の使者ロラを演じているのは、その『死んでしまったら私のことなんか誰も話さない』主演のビクトリア・アブリル(他に『溝の中の月』『オン・ザ・ライン』『マックス、モン・アムール』『ボルテージ』『アタメ』『アマンテス/愛人』『パリの天使たち』『ハイヒール』『キカ』『彼女の彼は彼女』など)。そして地獄側の工作員カルメンを演じるのは御存じペネロペ・クルス(『ハモンハモン』『オープン・ユア・アイズ』『オール・アバウト・マイ・マザー』『裸のマハ』『ウーマン・オン・トップ』『すべての美しい馬』『ブロウ』 『コレリ大尉のマンドリン』 『バニラ・スカイ』など)。この二人の出演作の傾向からは予測しがたいミス・マッチ感覚の配役がメチャでいい。エキセントリックな激情系女の役が多いヴィクトリア・アブリルが清楚で大人しい天使的役回り、でもクラブでは「悪魔になりたい」を熱唱するって役だし、ぺネロぺの方はガニ股でエロ本好き、んでもってマッチョな「カンフー・ファイティング」ダンスを一曲分まるまる披露する役なのだ。そういう有名女優ならではの遊び心ある展開こそが見どころの一つ。ちなみに脇を固める俳優陣も、天国の作戦本部長に『星降る夜のリストランテ』『エリザベス』『8人の女たち』のファニー・アルダン、地獄の作戦本部長に『アモーレス・ペロス』『天国の口、終りの楽園。』のガエル・ガルシア・ベルナル、ってツボな人にはツボにくる配役だ。この二人が『ライ麦畑でつかまえて』を愛読してるって設定も笑える。彼女たちに比べてデミアン・ビチル(『死んでしまったら私のことなんか誰も話さない』)演じる借金まみれのボクサーの影が薄いのが難と言えば難だが、ま、刺身のツマ扱いってのもシニカルな配役ギャグになってると好意的に解釈してあげるのが吉かな。 余談。もうすぐサーガ完結編『帝国への逆襲』が公開される<ジェイ&サイレント・ボブ>サーガの前作(エピソード4)『ドグマ』(ベン・アフレックとマット・デイモンの出てたヤツ)と見比べて、現代の欧米人にとっての「来世観・信仰観」を考察するってのも面白いかも。2作ともエンターティンメントなシニカル・コメディの振りをしているが、根底には真摯な疑問、ポスト・キリスト教(=覇権型世界宗教)を模索するようなプロテスト(異義申し立て)が含まれているので、皮肉な笑いについていった後、そこらへんをギロンする手もある。「神のの無謬性」をキモにした『ドグマ』と「バランス」がキイワードとなる本作、とか考えていくと、非キリスト教徒でも愉しめる「神学論争」ができるはず。そこから「何故に『ライ麦』なのか?」なんてディテールの整合性を詰めてゆくとか、各自でやってみて欲しい僕なのだった(あ、ユアンの『普通じゃない』を加えてもいいかも)。あ、ディテールと言えば、本作と同様『ダスト』でも男性の同僚を従えた女刑事が借金取り立ての悪役ってな法則があったなぁ。これはいったい何だろう? 最近の女刑事は汚職警官ばっかなのか? 流行り? 『罪と罰』の金貸しババアの系譜なのか? うーむ。 Text:梶浦秀麿 Copyright (c) 2002 UNZIP |